real local 山形Uターン次女の就農日記(2) - reallocal|移住やローカルまちづくりに興味がある人のためのサイト【地域情報】

Uターン次女の就農日記(2)

連載

2023.10.25

2023年4月。山形にUターンした。

山形に戻るのは、高校卒業以来。Uターンするまでは、新卒から6年間、公務員として働いてきた。29歳のアラサーにして、脱・公務員からの就農。退職前、周囲からかけられた声の中で多かったのは「頑張ってね」という応援と、「辞めるなんてもったいない!早まるな!」という声。後者は、主に身内や親戚から(笑)。どちらの声もありがたく頂戴して、約10年ぶりに山形に戻ってきた。

10月になり、ひと夏続いた猛暑も少しずつ落ち着いてきた。周囲の田んぼも黄金色に色づき、すっかり秋めいた。

今年の夏は連日35度前後の気温が続き、時には熱中症寸前でフラフラになりながら、桃の袋掛けや収穫の作業をしていた。早く涼しくなってほしいとずっと願っていたが、今になってみると、あれほど大変だった夏の日々が何だか少し懐かしい。

10月はラ・フランスとりんごの収穫作業だ。ラ・フランスは、我が家ではさくらんぼと桃に次ぐ主要品目となる。さくらんぼや桃と違って長期保存が効き、10月下旬から年末頃まで販売できるため、冬の稼ぎが少なくなる農家にとってありがたい稼ぎどころである。

Uターン次女の就農日記(2)
強風で落ちてしまったラ・フランスたち。

いざ収穫!と思いきや、10月初旬、県内各地で強風が吹き荒れた。収穫目前だったラ・フランスはボトボトと音を立てて、木から落ちてしまった。ほとんどの果実が、落下した衝撃で傷ついていた。無事であったとしても、収穫適期より前に落ちてしまったため、正規品としては販売できず、ジュース用として買い取ってもらう他ない。もちろん、その場合はかなり安価な値段しかつかないが、少しでも収入につながるのなら他に選択肢はなかった。

個人農家で、もともと栽培面積が少ない上に、今年は霜の被害であまり果実がなっていなかったため、今回の強風被害は収穫間際の痛手となった。結果、全体の収穫量は昨年の半分ほどに落ちてしまった。

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収穫時のラ・フランス。風にも負けずに無事残ってくれた。

近所の大規模農家は、平棚を作ったり、防風ネットで園地を覆ったりなど、強風被害を最小限に抑えるための対策をきちんとやっている様子が見てとれた。その一方、家族経営で人手が足りない我が家は、日々の作業に追われて対策を行うヒマがなく、資材を買う余裕もあまりない。そのため、今回のように自然災害をまともに受けて収入が減り、結果、対策をする費用がなく…という堂々巡りに陥ってしまう。今回の被害で、少しずつでも何か対策をしないといけないなと痛感した。

※平棚仕立て:樹の仕立て方の一つ。鋼管パイプや針金等で平棚を作り、枝を平面に伸ばす。通常の立木栽培に比べて枝の揺れが少ないため、果実の落下を防止できる可能性が高くなる。

ラ・フランスは、収穫適期が約10日間と短いため、収穫から選果までの作業を一気に行う必要がある。短期間でその作業を集中的に行うためには、少しでも多くの人手が欲しい。これまでは毎年、家族と親戚に作業を手伝ってもらっている。

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脚立を移動しながら何度も上り下りする。肩がけの収穫かごは、ラ・フランスの重さで結構重い。

今年、父と私の収穫作業を手伝ってくれたのは、母だった。母は普段、福祉の仕事をしているが、こういう時は農作業を手伝ってくれる。もちろん、父に小言を言いながら。

毎年、農繁期になると、こうして作業を手伝っているとはいえ、母は還暦を過ぎている。慣れない脚立を使って高所作業をしている様子を見ると、娘の私としては「脚立から落ちたりしないよな…?」と正直なところ心配である。

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作業中の母。脚立に登ると、作業高さは3mほどになる。

母「キャー!落ちた!」

ビクッとして見ると、収穫したばかりのラ・フランスが母の手から転がって逃げていった。母の無事を確認してすぐに安堵したが、とてもヒヤヒヤした瞬間だった。

母をはじめ、農繁期に我が家に手伝いに来てくれる親戚達も、どんどん年齢層が上がっている。中には、今年、75歳の後期高齢者になった人もいる。手伝ってくれることに本当に感謝を感じつつも、やはり農作業をするには体力的な限界がある。

私と年齢が近い親戚は、山形を離れてしまっていたり、会社勤めのため農作業の手伝いをお願いできるような状況ではない。人手不足についてはJA等でも考えてくれているが、これまで家族と親戚頼みだった農繁期の人手の確保を、今後5年10年後、どのようにカバーしていくかが目下の悩みだ。

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高所作業台で収穫する父。

一方で、父は、高所作業台のエンジンをブンブンと鳴らしながらラ・フランスを収穫していた。この機械は5年前に我が家にやってきたもの。昨年までこれを使っていたのは祖父だった。その祖父は今では足が悪くなってしまったため、畑から引退し、すっかりご隠居生活となっている。

そんな祖父に、スマホで撮影した畑の動画を見せたり、収穫した果物を持っていったりする。すると、祖父はいつもニカーっと満面の笑みで喜んでくれる。1日中家に籠りっぱなしになってしまった祖父にとって、長年見守ってきた畑の様子を知れるのは嬉しいらしい。祖父孝行になっているかは不明だが、農業をやってて良かったなと思える瞬間の一つである。

祖父「今何すったんだ?(今は、何の作業をしているんだ?)」
私 「ラ・フランスもいっだ。(ラ・フランスを収穫してるよ。)」
祖父「なってだが?(たくさん実ってるか?)」
私 「なってね。(全然なってない。)」
祖父「あいや!(Oh,my god!)」

※()は意訳です。

Uターン次女の就農日記(2)

私がUターンして農業をやろうと思い立った理由の一つに、祖父の存在がある。
私が小さい頃、祖父は畑で採れたりんごをよく私に食べさせてくれた。たっぷり蜜が入った甘いりんごだった。美味しくて美味しくて、幼い私はバクバク食べていた記憶がある。表面に傷がついて出荷できないものは、もれなく私専用のりんごとなった。

そうして少しずつ祖父から父に農業が受け継がれ、父は他の仕事をやりながら兼業農家として長年やってきた。しかし、私たち姉弟はというと、姉は看護師、私と弟は公務員となったため、農業を継ぐことはないだろうと、父の代で農地を手放そうと考えていたらしい。

そのことを聞いて、何だかものすごく悲しいなと思った。幼いころ、祖父に食べさせてもらったあのりんごの味がもう味わえなくなる。祖父と父が一生懸命育てて大事に守ってきた果樹たちが伐採されて更地になってしまったら、祖父と父はどれほど淋しいだろう。まさか自分でも農業をやるとは思っていなかったが、代々受け継がれてきた美味しさが自分の代で途絶えてしまったら、たぶん後悔する。そうして、農業の道へ進むことを考え始めた。

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赤くなり始めたりんごと赤とんぼ。

まだ就農してから半年と短いものの、祖父と父が大事にしてきた農地で、こうやって同じように果物を育てていることに、僅かながら誇りを感じている。幼い頃、祖父が育てたりんごを食べて私が笑顔になったように、私も、自分が作った果物で誰かを笑顔にできたら良いなと日々考えている。