【岐阜県中津川市】20年に一度の「御神木祭」に参加してきました!
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名古屋から車で約90分。岐阜県中津川市加子母(かしも)地区は、雄大な山々に囲まれた、知る人ぞ知るエリアです。実はここ、伊勢神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)に使用するご神木が育ち、切り出される重要な場所です。
三重県伊勢市にある伊勢神宮は、20年に一度、社殿や神様がお使いになる御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)など、すべてを新しく造り替え、ご神体を新宮へ遷(うつ)す「式年遷宮」を行います。これは神宮最大の祭典で、約8年もの歳月をかけて様々な祭事や行事が執り行われます。今回は、2033年の式年遷宮に向けて、ここ中津川市で切り出されたご神木を見送る「御神木祭」に参加してきました。


伊勢神宮を支える「御杣山(みそまやま)」がある加子母地区
加子母エリアは、古くから伊勢神宮の「御杣山(みそまやま)」の一つとして、式年遷宮に使うご神木を供給してきた、非常に重要な地域です。御杣山とは、神宮の御用材を伐り出す山を指し、その中でも特に良質なヒノキが育つ場所として知られてきました。
実は、江戸時代には尾張徳川藩の飛び地領だった歴史も。名古屋城の材木は、加子母地区を含む裏木曽エリアから切り出された記録が残っています。まさに「名古屋の縁の下の力持ち」的存在。

「ひのき一本、首一つ」加子母ヒノキの魅力
加子母で育つヒノキは「加子母ヒノキ」と呼ばれ、その質の高さは全国に名を馳せています。
緻密な年輪と美しい木目: 加子母はヒノキの生育地の北限に近いとされるため、厳しい自然の中でゆっくりと育ちます。その結果、年輪が非常に緻密になり、強度が高く、美しいピンク色の木目と艶を持つヒノキとなるんです。
その価値の高さゆえに、江戸時代には「ひのき一本、首一つ」という言葉まで生まれたと言われています。ご神木となるヒノキ一本を盗むことが、命を懸けるほどの重罪であったことを示しており、いかに加子母のヒノキが貴重で、厳重に管理されてきたかが分かりますね。

地域と伊勢神宮の深い絆
加子母の人々は、単に木材を供給するだけでなく、ご神木を育み、守り、送り出すという重要な役割を代々担ってきました。式年遷宮の際には、加子母の地域の人々が総出でご神木の伐採や運搬に携わります。伝統的な伐採方法「三ツ緒伐(みつおぎり)」など、古くからの技術が今に受け継がれているんです。
そして、伐採されたご神木は、壮大な「お木曳(おきひき)行事」などを経て、はるばる伊勢神宮へと運ばれていきます。この一連の行事は、加子母の人々にとって、地域に伝わる伝統を守り、未来へと繋ぐ大切な営みであり、地域のお祭りとしても盛大に執り行われています。

地域の熱気に包まれた「御神木祭」
今回参加した「御神木祭」では、加子母地区で切り出されたご神木が、付知(つけち)、福岡、苗木、中津川と1日かけて中津川市内各地を立ち寄り、翌朝には伊勢神宮へと運ばれていきました。
各エリアでは、「おんぽい節」や和太鼓などの地域の伝統芸能、厳かな神事などが披露され、餅まきも開催!実際に祭りに参加してみて、その熱気と、ご神木に込められた地域の人々の思いを肌で感じることができました。
伊勢神宮の荘厳な社殿が、遠く離れた岐阜の加子母の山々で育った木々によって支えられていること、そして、その木々を育んできた人々がいることを知ると、伊勢神宮もまた違った景色に見えてきます。




加子母地区の魅力
加子母地区は、ご神木が切り出されるほど、森林資源に恵まれています。水もきれいで、林業はもちろん、トマトなどの野菜づくりも盛んです。最近ではキャンプ場や宿泊施設、話題のカフェやレストランもあり、自然を満喫しながら楽しめる、お出かけにおススメのエリア。
次の「御神木祭」は20年後ですが、その前に一度、この加子母を訪れてみてはいかがでしょう?


▼加子母マップ
▼加子母みどころマップ
(中津川市サイトから引用)
※伊勢神宮
三重県伊勢市にある伊勢神宮は、「お伊勢さん」の名で親しまれている神社です。正式には、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)を始めとする125もの宮社からなる総称で、正式には「神宮」といいます。その歴史は非常に古く、日本の歴史と深く結びついています。全国8万社の神社の中で、最大の聖域とも言われる場所。
※式年遷宮
伊勢神宮の歴史を語る上で欠かせないのが「式年遷宮」。この制度は、今から約1300年前、天武天皇のご発意に始まり、第一回は690年、持統天皇によって執り行われました。この伝統が、現代まで脈々と受け継がれています。