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山形県天童市・移住者インタビュー/Bar Speyside 近野郁真さん

インタビュー

2022.12.07

2011年3月の震災後、それまで暮らしてきた宮城県石巻市から離れることを決意した近野郁真さんが新たな生活の拠点として選んだまちは山形県天童市でした。それから10年ほどの年月が流れたいま、近野さんはこの天童のまちで「Bar Speyside(スペイサイド)」 という名の、決して大きくはない、けれどもぎゅっと濃密な香りが漂うバーを営み、ウィスキー好きな常連さんを夜な夜な吸い寄せています。じぶんのバーを営むというだけでなく、さらには身近な農園でも働いたり、自然の中での遊びを満喫したり、このまちの暮らしを存分に楽しんでいる様子。そんな近野さんの現在に至るまでの物語をお聞きしました。

山形県天童市・移住者インタビュー/Bar Speyside 近野郁真さん
近野郁真さん。ある日のまだ昼の時間の「Bar Speyside」にて。

大好きなバーがあるまち
だから天童市を選んだ

石巻を離れる決意を固めたのは震災後すぐのこと。まちの復興にはながい時間がかかるような気がしたこともあって、その決断はけっこう早かったように思います。それで、「じゃあどこに暮らしていこうか」と思い悩んで、「ここにしよう」と決めたまちが天童でした。

以前から母がこの天童のまちに縁があったこともあって、わたしもそれまでになんどか訪れたことのあるまちでした。ですから、少なからずわたしにとって馴染みがあったというのが移住を決めた理由のひとつです。そしてもうひとつの理由は、このまちにはわたしの大好きなバーテンダーさんがいた、ということでした。

そのひとは、わたしよりもずっと歳上の、この天童のまちで長くお店をやられてきた方でした。その人柄もそのお店もすごく素敵で、並べられたウィスキーの品揃えもその知識の豊富さもすばらしいものでした。天童に来るたびにその店を訪れては、そこで過ごす時間が楽しみになっていきました。その方はいつも優しく接してくださって、わたしにいろいろなことを教えてくださいました。それで、「このひとのいるこのまちに暮らしていこう」と思うようになったんです。その方は、お歳はいまではもう70半ばにもなっておられますが、まだ現役でお店をやられていて、わたしが移住してきてからもずっとあたたかく見守ってくださいました。

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「ウィスキーって、環境がつくるんです。同じ原酒でも、樽が違うだけで味が変わる。そういうのがすごく面白いんです」と近野さんは言う。

忙しい季節のみ手伝う働き方を
果樹農家さんに喜んでもらえた

わたしは若いときからバーで働いたり、自分でバーを経営したりして生きてきたので、この天童のまちに移住してからも「きっとバーをやることになるだろうな」という予感はしていました。けれど、移住後すぐに店を開けたわけではなく、まずわたしたがこのまちに来てはじめたことは、果樹農家さんの仕事を手伝うということでした。

宮城で店をやっているいるときから、山形の果物を仕入れてフルーツカクテルをつくるということがけっこう多かったんです。ですから、これからこのまちでどうせバーをやるのなら、じぶんのバーを開くまえにまずはフルーツがどうやってつくられるのかをしっかり知っておくのもいいだろうと思いました。

ご存知の通り、天童はフルーツの名産地です。さくらんぼ、もも、ラフランス、りんごなどどれも有名ですし、じつに美味です。わたしはそういったものを育てている果樹農家さんでアルバイトをするようになりました。

実際に働いてみると、忙しい繁忙期だけヘルプとして農園で働けるというわたしのゆるい感じのワークスタイルは農園の方にとても重宝されました。おそらく農家さんにとっても使い勝手が良くて都合がよかったのでしょう。それでその関係はいまに至るまでもう10年ほどもずっと続いていまして、いまも春から秋にかけての忙しい時期には農園のお手伝いに伺っています。じぶんとしても半分農家さんになったように感じるくらいです。

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おいしい果物のまちのバーだから
新しいカクテルが生まれることも

というわけで、天童のまちでじぶんのバーを開いたのは、移住してからすこし時間が経ってから。2012年のことでした。最初の店は、カウンター5席くらいしかない、とても小さいものでした。その店は、天童温泉の温泉街すぐそばにあったのですが、しばらくして、もうすこし静かなエリアにある現在の店に移ってきました。最初はほとんど知り合いもいないようなところから商売をスタートしたわけですが、ありがたいことにこの頃には常連さんもすこしついてきたので、こんどは繁華街からはすこし離れた、ちょっと引っ込んだような場所で店をやっていきたくなったんです。

天童というこのまちに来て本当によかったな、といま振り返ってみて思うことのひとつは、わたしのように他所から来た人間に対してすごく優しく接してくださった方たちが多かったということです。とてもありがたかったですね。むかし宿場町だったからなのでしょうか、閉鎖的な印象を感じたことはまるでなく、むしろオープンで、偏見もなく、とてもあたたかく迎え入れていただいたと感じています。

また、このまちでバーをやるようになって、じぶんのスタイルも以前とはすこし違うものになったと感じます。まず、農家さんの手伝いをやるようになったことで、昼と夜のバランスができて、精神的によくなりましたね。また、いいフルーツがあることで、カクテルのつくり方が変わりました。ふつうは「このカクテルをつくるから、あのフルーツが必要だ」という思考になるわけですけど、いまのわたしの場合は「このフルーツがあるんだから、じゃあ、どんなカクテルをつくろうか」と考えるような場面が少なくありません。ラ・フランスのカクテルなんてふつうマニュアルにはないけれど、「さあ、いま手元にあるこれでどんなものをつくろうか」と新しいチャレンジができる楽しみがありますね。

山形県天童市・移住者インタビュー/Bar Speyside 近野郁真さん
山奥でのイワナ釣りも
自然のなかでのキャンプも満喫しながら

宮城に暮らしていた頃からずっと、釣りやキャンプやスノーボードは大好きでした。それが、天童に暮らすようになってからますます楽しくなりましたね。なんといっても自然が近い。宮城にいた時代は移動だけで2時間もかかっていたのに、ここなら車で10分20分も行けば、最高に楽しい遊び場がいろんなところにあります。

釣りはもっぱらイワナです。イワナという魚は源流の方にいるので、けっこう山奥まで入っていくんですが、そういういい場所もいっぱいあるのもこのあたりのいいところ。ひとりで行くこともありますが、お店のお客さんといっしょに行くこともあります。天童に来てから嫁さんを見つけて結婚したのですが、彼女と一緒に行くこともあります。

おかげさまで、移住して10年。わたしはこのまちでの生活をすごく楽しんでいますけど、でも、それはこのまちに執着しているというのともすこし違うんですね。わたしはバーをやっている人間で、バーというのはずっと同じ場所に変わらずあって、その変わらない場所から変わりゆくまちを淡々と眺めているような感じなんです。

ですから、これからもこの場所から、このまちが変わり、ひとが移りゆくその様を眺めていられたらな、と思っています。

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店名である「Speyside(スペイサイド)」は、シングルモルト・ウイスキーで有名なスコットランドの地域の名前から。それは、ウィスキー好きを呼び寄せる記号でもあるのだ。

photo:  渡辺然(Strobelight)
text: 那須ミノル