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Q1_第14回クリエイティブ会議「デザインの民主化」(長谷川敦士さん)2024.3.28/REPORT

イベントレポート

2024.04.17

2024年3月28日(木)、やまがたクリエイティブシティセンターQ1 にて第14回クリエイティブ会議が開催されました。Q1イベントスペースを会場に15人の参加者が集うとともに、オンライン配信されました。

タイトルは「デザインの民主化」。インフォメーションアーキテクトであり、株式会社コンセント代表取締役社長、武蔵野美術大学教授である長谷川敦士さんが講話され、またその後は視聴者とのディスカッションが行われました。モデレーターは株式会社Q1のアイハラケンジさんが務めました。

Q1_第14回クリエイティブ会議「デザインの民主化」(長谷川敦士さん)2024.3.28/REPORT
やまがたクリエイティブシティセンターQ1にて。右がゲストの長谷川敦士さん。左はモデレーターのアイハラケンジさん。

話題の中心となったのは「これからのデザイン」。私たちが何気なく使うようになったこの「デザイン」という言葉が時代の中でどのように登場し、また変容してきたかを振り返りつつ、「これからの時代におけるデザインとは?」を考える時間となりました。

そこで語られた要点は以下のようなものあったと思われます。

「デザイン」の意味とこれまで

欧米において「design」という言葉が存在感を持つようになったのは1900年前後から。その意味では「design」という言葉は、せいぜい100年ほどの歴史しか持たないものである。日本においては明治時代に輸入され「図按(図案)」「設計」「意匠」などとして訳され、やがて第二次世界大戦後の消費革命あたりの頃からカタカナの「デザイン」が一般的に使われるようになった。

では誰がどのように「デザイン」を提供してきたのだろうか、と考えてみると、かつては職業デザイナーがブラックボックス的なプロセスを経て提案された「デザイン」を、企業や組織などのクライアントが「採用」したり、「買う」ようなやり方がなされてきたのではないだろうか。

それが21世紀ごろになってくると、そのデザインのプロセスを明らかにしようとする動きが出てくる。デザイナーとクライアントが協働しつつ「観察」によって、「課題を定義」し、「プロトタイピング」して、「評価」してというサイクルを回すようなものとしてのデザインへと変容してくる。よく耳にするようになった「デザイン思考」という言葉も、そのようなデザイン的アプローチを商品開発やサービス開発といったビジネスシーンに活用していくような考え方である。

さらに最近では、「design」という言葉がもつ領域やニュアンスというものが変化してきている。どういうことかというと、「デザイン」とは、「現状をより好ましい状態へ変えるための行動」であるとか、「目指すべき目標に向けて計画すること」であるとか、その意味では「人間活動の基礎である」とかいったようなことである。つまりここではもはやデザインとは職業デザイナーだけがなすこと、ではない。現状をもっとより良い状態へ変えようと望み、計画し、行動する人間誰しもがおこなうこと(デザインの民主化)である。

これからの時代の「デザイン」

そもそも私たちが生きる今、そして、これから、とはどのような時代だろうか。よく言われるものに「VUCAの時代」というものがある。VUCAとは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧さ)に満ちている、ということ。このような時代に生きていく私たちが直面する様々な課題や「問題」とは、それ自体が捉えづらい非常に「厄介な問題」である。

というのも、問題そのものがわかりやすく、あるいは多少複雑でも複雑であることがわかり、そしてそこに「正解がある」ことが明快であったかつての時代とは違い、今、そしてこれからの時代の「厄介な問題」は、問題の姿も見えづらく、解き方も不明で、正解があるのかすらもわからない、というような類のものである。ここでは仮説すら見えないし、立てようもない。そういう厄介さを抱えている。

そんな「厄介な問題」への向き合い方として有効であると考えられるのが、デザイナー的なアプローチである。ここでいうデザイナー的なアプローチとは、職業デザイナーがすでに実践しているもので、なにかしらの課題をまえに「ひとまず手を動かしてスケッチするなり、かたちにするなり、とりあえずなんかやってみる」という態度。そうすることによって、「あ、これはありかも」というような方向性を探り当て、何がしかの道筋を見つけて「アブダクション(仮説形成)」をみずからに引き起こそうとするやり方、である。これからの時代を生きる私たちは、一人ひとりがこのようなやり方をデザイナーから学び、自分にインストールしていかなければならないだろう。

古くは、デザインとはデザイナーから人びとへ「提供」されるものであった(Design for Peopleの時代)。やがてデザインは、デザイナーと人びとが「協働」して生まれるものへと変容してきた(Design with Peopleの時代)。そしてこれからのデザインは、人びとがデザイナー的なアプローチを獲得して「みずからやる」ものになっていく(Design by People)ことだろう。
一人ひとりがそのようにデザイナー的な存在になることによって、社会全体のデザイン濃度が上がっていく…、そしてそうなることによってしか、より良い社会へと繋がっていくようなソーシャルイノベーションはもたらされ得ないのではないだろうか。

Text 那須ミノル