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「この道にはまり込んだもんの、責務」反骨の和菓子ZINE/諸江吉太郎さん

2020.05.21

「落雁 諸江屋」のカウンターの片隅に、小冊子が控えめに平積みされている。無料で配布しているとのことで、菓子を購入したついでに一冊、袋に入れて持ち帰った。

由来などが書かれた、よくある商品案内だろうとパラパラとめくっていたら、衝撃を受けた。セールスプロモーションのための「パンフレット」なんて生易しいものじゃない、これは主張が滾る「ZINE」だ、と思った。

「この道にはまり込んだもんの、責務」反骨の和菓子ZINE/諸江吉太郎さん

金沢ゆかりの菓子や、郷土料理、しきたりにいたるまで、「菓子」という切り口から、金沢のかつての暮らしぶりを鮮やかに洗い出すその小冊子。圧倒的古典アーカイブに裏打ちされた情報量はさることながら、俗説への鋭い批評や、行間から滲み出す何か“反骨心”のようなものが、そこにはあった。

現在までに15冊。こんなロックな冊子を、江戸時代から続く老舗和菓子店「落雁 諸江屋」の6代目、御歳85になる諸江吉太郎さんが、いち個人として自費出版し続け、無償で配布している。そのとめどないモチベーションの所在を知りたくて、野町にある本店に諸江吉太郎さんを訪ねた。

「この道にはまり込んだもんの、責務」反骨の和菓子ZINE/諸江吉太郎さん

「この道にはまり込んだもんの、責務」反骨の和菓子ZINE/諸江吉太郎さん
「落雁 諸江屋」の6代目・諸江吉太郎さん

「こういうのは、金沢弁で“すきもん”って言うんですわ。夏休みの宿題に“一人一研究”ってあったでしょう。あれが今もずっと続いとるんです」。これまでに発行した色とりどりの15の小冊子と、ずしりとした2冊の書籍を卓上に並べ、吉太郎さんは柔和な笑顔をみせる。

独立独歩の、“一人一研究”。

落雁屋の長男として生まれた吉太郎さんは、誰に言われるでもなく、若い頃から和菓子の歴史を調べ、そして先達から聴き集めていたという。いくら老舗の後継だからといって、和菓子の歴史を一挙に知れる“秘伝の書”のようなものが存在するわけもなく、その多くは途方もなく地道な作業で集められたものだった。

「この道にはまり込んだもんの、責務」反骨の和菓子ZINE/諸江吉太郎さん
諸江屋本店に隣接する「らくがん文庫」に展示されている資料

「大学ノート買って来てね、コピー機なんてない頃ですから。鉛筆で図書館の古文書を写すんです。変体仮名はね、あれは読みにくい。どうしても読めんところはそこのかして(省いて)いくんですわ。そしたら例えば『なすび』と出てくるくだりが後にあって、先のところも『なすび』でないと続いていかないぞと、当てはめるわけです。そんな解読法でやってきましたな。

先輩方からの話は、無理に聞き出すんです(笑)。夕方に訪ねて行って『おとっつぁん、たのん、教えて』『あんちゃんまた来たんか。よし、わしの分かる範囲でな』といった具合で。あそこの家の寺はどこどこで、その墓地に墓があるとか。そんなところから段々と調べを進めていくわけです」

「この道にはまり込んだもんの、責務」反骨の和菓子ZINE/諸江吉太郎さん
著作『加賀百万石【ゆかりの菓子】』と、『記・加賀百万石【ゆかりの菓子】』

「好きでやってきた、と言うより、もうこれしかないようなもんですな。諸江の家はギャンブルも茶屋遊びも一切ダメでしたから」と笑う吉太郎さん。そうした“下勉強”は半世紀も続き、そのアーカイブは果物を菓子としていた大和時代から江戸時代までに及んだ。そんな折、地元出版社から声をかけられた経緯で、吉太郎さんは『加賀百万石【ゆかりの菓子】』として、2冊の書籍をまとめ上げる。

「勉強だけしとったって、コロリと逝ったら何にも残らんと。そこでこれ(執筆活動)に掛かりだしました。本だけだしといて、ここでピタリと止めとけばよかった。けれども、私は止まりませんでした。車でも、ブレーキを踏んだからといってパッとは止まれませんでしょう。あんなようなもんですな」。堰を切ったように溢れ出した“菓子への想い”、それが無償配布の小冊子の始まりだった。

「この道にはまり込んだもんの、責務」反骨の和菓子ZINE/諸江吉太郎さん

真説を、伝える。

「金沢の菓子はどのように発達したのでしょうか。一説には
『金沢の茶と菓子は、裏千家の千仙叟宗室が金沢に招かれたころが
始まり』とされていますが、はなはだ大雑把な認識かと思います。」
(『金澤の菓子夜ばなし。』より)

おだやかな口調のまま時折入る痛烈な“ツッコミ”。その容赦のなさは、徹底された“原本参照精神”から来る。巷に流布する、それらしい俗説を全く拠り所とせず、「果たして本当だろうか」と資料を探し、事情を知る関係者にあたる。近道はなく、とにかく「調べまくる」のだという。

「ものの原点というか、120%は合わなくても、95%は確かだということを、追いかけられるだけ追いかけて、次に伝えていかんなんと思っています。そういうところをはっきりしておかないと、非常に不安定なことになる。子どもの頃の糸電話みたいに、『あ』と言ったことが、次に伝わるときに『あ』じゃなくなっている、そんなことが起きてはまずいんやないかと」

そんな仕事の功績のひとつに、「氷室饅頭」にまつわる冊子がある。氷室饅頭は金沢で毎年7月1日に食べられる饅頭で、加賀藩の氷室から江戸の将軍の元に旧暦6月1日に幕府に献上した慣例に所縁があるとされた。

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小冊子『金沢の氷室饅頭』
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かつての引札や地図、など豊富な資料が掲載されている。

「“金沢から親不知を経由して軽井沢を越して、早馬で江戸まで雪を運んだ”という話が流布しておりまして、そしたら皆そんながやと信じるでしょう」。しかし、吉太郎さんには違和感があった。関係した末裔を訪ね、実際は安中(群馬県西南部)の宿場町に氷室があり、そこからから雪が届けられたことを、つきとめた。

“金沢から昼夜問わず早馬で運んだ説”は、それらしく、涙ぐましくさえある。公の広報物にも由来として記されているほどだ(恥ずかしながら、私も過去の記事で引用したことがある)。しかし、“もっともらしさ”と事実は別物だ。ディテールをおろそかにした途端、真実はその輪郭を失う。

この道にはまり込んだもんの、責務。

「数百円のお金をお客様から頂戴するよりも、お客様に真説を、まともな論を、伝えていくことの方が大事やと思うんです。それが、この道にはまりこんだもんの責務でないかと。そんだけです」

読み物としての充実度や装丁の丁寧さ、もはや有料でもよいのではと尋ねたところ、吉太郎さんは淡々とそう答えた。

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「らくがん文庫」外観。隣の本店スタッフに一声かけると開けてもらえる。

諸江屋の本店に隣接して「らくがん文庫」なる建物がある。ここは諸江さんが集めた菓子にまつわる歴史の一部を垣間見れる貴重な資料館で、本店スタッフに声をかければ誰でも自由に、無料で入館できる。

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「らくがん文庫」内観

忘れらない一言があると、吉太郎さんは言う。かつて聞き取りを続ける中で、前田家御用達の名店でありながらも明治中期に店を閉じた菓子屋の末裔をたずねたことだった。

「そのときのご当主が『諸江さん、あんたんとこは続いとっていいね』とおしゃった。この一言が、私にズシンときました。嫌味を込めておられたのか、真意はわかりません。けれど、無礼だからそれ以降おじゃまするのはやめました。それから、もう少し(和菓子研究を)奥深くせんなんと」

江戸時代からの同業者はほとんどがその暖簾を下げた。そして今日も金沢の和菓子店は減少の一途を辿っている。「後世に残したかった」そんな数々の無念の声を背負い、吉太郎さんは菓子研究の道をひた走っているのかもしれない。

「この道にはまり込んだもんの、責務」反骨の和菓子ZINE/諸江吉太郎さん

行間から滲み出す反骨心。

しかし、ここまで話をうかがってひっかかるところがあった。金沢という狭い街で、逃げも隠れもできない江戸時代から続く老舗菓子店の会長が、時としてこれまでの言説を覆すような“角の立つこと”を、あえて文字として残すというリスクを負い続けるのはなぜか。はたして、“使命感”だけなのだろうか。そして行間から滲み出すようなあの“反骨心”の正体は何なのだろう。

そう尋ねると、吉太郎さんは少し微笑んで「“夏休みの宿題の延長”という話の下に、もっと根っこの芯があるわけです。忘れもせん、かぞえ37歳の頃の話です」とゆったりした口調で続けた。

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人とは違う、自分の道を行け。

吉太郎さんは中学校を卒業してすぐに家業に入った。長男という立場や昭和初期という時代性もあった。しかし独学で菓子の歴史を学び続ける真摯な姿勢は周囲からも一目置かれおり、37歳と若くして組合組織の理事長に内々で推薦されることになる。組合組織の理事長となるということは、金沢の和菓子業界におけるメインストリートを邁進していくような名誉あることだ。

しかしあるとき「お前、腹をたてるなよ。理事長の話はなくなった」と先輩からの連絡が入る。理由を聞けば、“ある一声”があったという。「学歴のないやつには役不足だ」と。

「そこからですな。人とは全然違う道を進んでいこうと、決めたんです。割り切るまでに10日はかかりましたな。(元野球選手の)金田正一や星野仙一のことを思い出したりもしまして。自分の好きな道を、誰に遠慮するでもなく歩けと。根がそんなとこにあるもんやからね、どうしてもそれが(冊子にも)見え隠れしてしまうんですわ」と、照れるように笑う。金沢における和菓子の大家の、その反骨の原点が、実に人間らしいエピソードにあることに、失礼ながらも親しみをおぼえたと同時に、とても納得がいった。あの小冊子は「己の道をゆけ」と発していたのだ。

「この道にはまり込んだもんの、責務」反骨の和菓子ZINE/諸江吉太郎さん

“純正部品”を点検することから、金沢を読みもどす。

「この頃は目もおぼつかんくなって。文字は太くして、行と行の間に線を入れんと読みづらくなってきました」という吉太郎さん。確かに最近の冊子は便箋のような仕様になっている。それはまるで、後世への手紙のようにも見える。

「おせっかいであろうがなんであろうが、体が動くうちにやってしまおうと。あと、ひとつかふたつは挑戦するかな」。そのうちのひとつは金沢の士族の末裔のリストアップ。侍系が半数を占める金沢においては、かつて表札に「士族」と記された家も多かった。そしてそこには「家々における行儀作法の伝わり方」があるのだという。

「金沢の“純正部品”を点検することから、もう一度金沢という街の読みもどしをしてみようと。戦災に遭わず、藩政期の色を残して燃えなかった街。これをどう大事にしていくかはお互いの了見ですな」

「この道にはまり込んだもんの、責務」反骨の和菓子ZINE/諸江吉太郎さん

圧倒的にオーセンティックでありながら、「“張り出し”(※1)でおるのが好き」だという吉太郎さん。取材翌日も、奈良の美術館に所蔵される「現物」を確認しに行く予定とのこと。「親の年を越しましたから、もうわずかのところ、どう完全燃焼しようか。それだけです」。老舗落雁店6代目の挑戦は続く。

(※1)張り出し…かつての大相撲の番付表において、横綱が3名以上存在した際に、所定外の場所に掲載された横綱を意味する。

(取材:2020年2月)

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備考

書籍『加賀百万石のゆかりの菓子』はオンライン購入可能です。
http://moroeya.net/?pid=8013432

 

URL

▼落雁 諸江屋ホームページ
   http://moroeya.co.jp

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