愛すべき「ぬた(ずんだ)餅」の世界へようこそ(1)言葉の由来
連載
かつて「real local 山形」では、「納豆餅」をテーマにロングトークするという企画を実施したことがありますが、今回お届けするのはその「ぬた(ずんだ)餅」バージョン。
山形市旅篭町にある「餅の星野屋」さんの店主・星野輝彦さんと、real localライターの那須ミノルが、「ぬた(ずんだ)」について語りあった時間の記録、お届けします。
那須:星野屋さんではいつから「ぬた(ずんだ)餅」を提供されていたのでしょう。
星野:もう、昔から。親父の代からずっとです。いまのように出来たてのお餅のイートインは私の代になってからですが、「ぬた(ずんだ)餅」の販売自体はずっと以前からやってました。
那須:山形市で育った人の多くは「ずんだ」ではなく「ぬた」っていう言い方をしますよね?それがこの頃は「ずんだ」っていう呼びかたのほうが一般的になってきた気もしますが。
星野:そうですね、山形の人は「ぬた」と言いますね。
那須:その「山形」っていうのは「山形市」?
星野:山形市を含む「村山地方」ですかね。やっぱり基本は「ぬた」ですね。「ずんだ」と言うと怒る人もいる、という感じです。
「ぬた」って、漢字で書くと「沼田」らしいです。和食の酢味噌和えなどもよく「ぬたあえ」って言いますが、あれと同じ。豆をペーストにしてドロっとしたものをそう呼ぶようです。酢味噌の「ぬた」は酢と味噌で、こちらの「ぬた(ずんだ)」は砂糖と枝豆。味はぜんぜん違うけど、どちらも「豆を擦ってドロッとなったもの」というのが共通点です。
那須:山形の「ぬた」は、「枝豆を擦ってドロっとしたもの」ということだったのか。
星野:置賜地方に行けば「じんだん」とか「じんだ」とも呼ばれますが、その語源はたぶん「ずんだ」と同じでしょう。由来は諸説あるようですが、「豆打つ」と書いて「ずだ」。そこから変化した、という説が一番有力な気がします。
那須:「豆打」で「ずだ」。
星野:「ずだ」から「ずんだ」に変化していった、と。
那須:「ずんだ」と言うと、仙台名物っていう印象が強い気がしますね。
星野:「ずんだ」は伊達政宗の時代の食文化です。政宗のお母さんは最上家で、政宗が生まれ育ったのは山形・米沢。だから仙台の「ずんだ」と呼ばれるもののルーツを辿ると山形・米沢になる、ということで間違いないと思います。
那須:「ぬた(ずんだ)」は山形で生まれ、仙台に渡り、名物として定着していった、と。
星野:そもそも「ぬた(ずんだ)餅」は家庭料理です。今であれば家庭料理は「郷土料理」や「名物」として認知されもしますが、かつての山形ではごくふつうのありきたりなものすぎて、よそに向けてわざわざPRするものでもなかったのでしょう。
これに対して仙台では、ずんだを売り出そうとしたお菓子屋さんの努力があったんでしょうね。県外の人からしたら「なんだこれ?」っていうこの「ずんだ」を駅で売りだしてみたり…さまざまな試行錯誤があって、名物として広まり、そして定着したのでしょう。
那須:商売力の違いかもしれませんね。
星野:「ぬた(ずんだ)」を食べる文化って、東北すべてではなく、山形と宮城、あとは福島だけみたいです。福島もどちらかというと山形寄りのエリアだけのようですし。盛岡とか秋田とかはおそらく食べてないと思いますね。
那須:盛岡あたりは餅の文化が豊かだと聞きますが、それでも「ずんだ」は食べない?
星野:もしかしたら今はあるのかもしれませんが、元々はなかったんじゃないでしょうか。
那須:「ぬた(ずんだ)」って、ぼくらは一年中あるもののように思っていますけど、原料は枝豆ですから、本来は枝豆が収穫される時期だけの季節商品だったんでしょうね。
星野:そうです。枝豆が山形で収穫されるのは夏秋ですから、それ以外の時期につくったり販売したりということは昔はなかったはず。しかも山形は夏秋の気温が高いですから、朝につくったとしても夕方にはもう品質が落ちて味が変わってしまうものでした。それが戦後、昭和40年代頃になると冷蔵庫が普及して、いつでも食べられるものになっていった。
那須:冷蔵や冷凍の技術が広まって、生鮮品の保存ができるようになったそのおかげで、お餅屋さんも「ぬた(ずんだ)」を通年で安定的に供給できるようになった、と。
星野:そう。多分どこの餅屋さんもそうだったと思いますよ。
つづく
写真:布施果歩(STROBELIGHT)
文 :那須ミノル