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食彩やまがた12カ月 長月「さわのはな」

地域の連載

2020.09.29

 このコーナーでは今が旬のやまがたの食材にフォーカス。その天の恵みを育んだ風土や歴史、ひとの営みにも手をのばしていきたいと思います。

 山形のブランド米はひろく全国に知られていますが、ここで紹介する「さわのはな」もかつてそうでした。1970年代の地元紙をめくると、米価や作付に関する記事にササニシキと並んで「さわのはな」が挙げられています。

 それが1993年に品種登録された「はえぬき」と「どまんなか」、以降「つや姫」「雪若丸」とあらたな銘柄米が後続。97年には「さわのはな」は奨励品種の指定をはずされ、苗の供給や小売の販路を絶たれます。

 それでもこの米の魅力に取り憑かれ自家採種、直売で「さわのはな」をつくりつづける生産者たちがいます。今回ここで紹介するのは、そのひとり高橋広一さん(51歳)。

 高橋さんに案内されたのは神室連峰の南端、杢蔵山(もくぞうさん)を遠望する新庄市内の丘陵地に拓かれた棚田。刈り取りを目前にした畑は「さわのはな」に特徴的な倒伏がみられます。収穫期に稲が横倒れしやすい性質があるため、刈り取りの機械化が適しておらず、栽培が敬遠された時期がありました。

食彩やまがた12カ月 長月「さわのはな」

 この棚田は広一さんのおじいさんが開墾したもの。現在では広一さんがほぼひとりで田植えから収穫までを担っています。

「ほかの地所でも米はつくっていますが、そちらは最上川の水系から水を引いてますが、この棚田では地下水をくみあげています。『さわのはな』は尾花沢の試験場で誕生したため、その地名をもじって名づけられたという説が一般的ですが、冷たい沢の水でも栽培できるからという説もあるんですよ」

「さわのはな」は49年に秋田の試験場で交配された稲株を尾花沢試験地が配布を受け、独自に品種選抜と栽培試験を重ね、60年、県の奨励品種としてデビューしました。

食彩やまがた12カ月 長月「さわのはな」

 尾花沢の試験場で「さわのはな」が誕生したころはまだ食糧不足、良質で安定多収量が時代の要請でした。以後60年代中盤まで「さわのはな」は順調に作付を増やしていきます。しかし67年、さらなる増産をめざす「山形県60万トン米づくり運動」という施策が打たれると、より多収が見込める「ではみのり」という品種の栽培が好まれるようになり「さわのはな」の作付は減少します。

 ところが69年には米あまりが深刻化、良味という付加価値性で勝ちぬくためキラーアイテムとして「さわのはな」に白羽の矢が立ちます。今度は山形県独自の銘柄米に指定、期待を一身に背負い高度成長期の荒波のなかへと乗りだしていきます。しかしそれも80年代にはいると「ササニシキ」「コシヒカリ」のネームバリューに押され、以降県産銘柄米が後続すると日陰の存在に追われることなります。

「ぼくも米農家の跡取りとして、漫然と家業を継いだのがはじまりでした」という広一さんの転機は、米づくりをはじめて10年ほど経ってのこと。

「父がお客さんのところへ行くぞと言うので、同行することにしたんです」と連れて行かれたのは東京・国分寺のカフェ。そこは、つながりを大事にすることで生まれる、心地よい暮らしを提案する「カフェスロー」という店でした(https://cafeslow.com)。

「父は直販ルートを独自に開拓していたんですね。そのカフェで目にしたものには、ちょっと驚かされました」そこで広一さんが知ったのは、作物が育つ土地の人たち、なかでも生産者が誰よりも作物の魅力を知っているという事実はあてはまらないこともあるということ。

「カフェスローのメニューには『山形在来さわのはな玄米』と記されていました。それ以前から東京など山形県外からの注文に玄米が多いことが不思議だったんです、みなさん精米器をお持ちなのかと(笑)」 米農家に生まれ育った広一さんにとって、米とは白米のこと。ところがイタリア発のスローフード運動は首都圏の消費者に広く受け入れられ、2000年前後から玄米食を日常とする新しい愛好家を増やしていたのです。

「お客さんの顔がみえる、つながっているという実感をもてたことで、米づくりの意識がかわりました。期待に応えなきゃと思えばがんばれます」

 もともと農業とは縁のなかった妻の綾さんも結婚後、広一さんの仕事ぶりや「さわのはな」が身近になり、菜園をみずから開き、野菜ソムリエの資格を取得。自宅の一角に「さわのはな」の玄米や地のものをつかった農家レストラン「米香房Gratia*s」をオープン。小学生のふたりの男の子たちはそろって、将来はお米農家になると語ってくれました。

 最後に「さわのはな」をつかった当店のレシピを紹介しておきます。

参考文献『さわのはな その生い立ちと歩み』鈴木多賀著、ひなた村刊

(次回は10月中旬の掲載予定)

高橋広一さんの活動の詳細やお米の購入は下記のサイトまで
http://komekobo-gratias.info

 

今月の旬菜メモ
さわのはな

 戦後まもない1949年、秋田にあった農業試験場で交配され、3年後、尾花沢試験地がその稲株の配布を受ける。以降、系統の選抜と栽培試験を重ね、1960年「さわのはな」と命名され山形県の奨励品種の指定を受ける。

 交配は片親が「亀の尾」の子孫、もう一方は親はのちに「コシヒカリ」を生む品種。

 低温条件下の実りがほかの品種に比べ優れているため、県内では最上、置賜地方でよくつくられた。

 食味はアミロースなど食味成分の含有量が「コシヒカリ」と同程度との分析結果が得られている。

 また収穫からつぎの新米まで約1年の貯蔵期間中、多くの品種が夏場に品質低下をおかしがちなのに対して、「さわのはな」は夏場に強い食味、風味を有しているとされている。

ワインビストロのレシピ
もってのほかと枝豆のちらし寿司

食彩やまがた12カ月 長月「さわのはな」

当店ではリゾットやパエリアにも「さわのはな」を使用。粒立ちよく、うまくアルデンテに炊きあげることができる。

またランチでは、玄米に八角を効かせた中華おこわふうのごはんを定番としているが、夏の前後は下記のような白米のかわり飯でさっぱりとした味わいを提供している。

1)さわのはなを心持ち堅めに炊く。枝豆は好みの堅さに茹で、鞘と薄皮をむく。

2)ボウルに米酢、三温糖などの砂糖を入れ、よくまぜる。

3)もってのほか(食用菊)をボウルに入れ、軽くまぜる。つづいて「さわのはな」を加え、しゃもじなどで米が潰れないよう切るようにまぜる。仕上げに枝豆と炒りごまを加えて完成。

 

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