山形ラーメン、ダイバーシティ放浪記_01「どんどん焼きの乗ったラーメン」
「世帯当たりラーメン消費額日本一」をなんども獲得し、「ラーメンの聖地、山形市」が宣言されるに至ったいま、山形市は「山ラー」の街になった。わたしたち山形市民は、ラーメンをよく食うのだろう。そして、ラーメンにお金をかけているのだろう。自覚はなくとも、データがそれを示しているらしい。

肌感覚として、たしかにラーメンという食事は市民にとても身近だ。わたしたちはどこで暮らそうとどこで働こうと、町内のどこかにラーメン店はひとつどころかいくつもある(たぶん)。さらに、山形では、ラーメン店ではなくとも、蕎麦屋でもラーメンを出すし、大衆食堂でも、スーパー内の食堂でも出す。つまり「ラーメン店でもないのにラーメンが食べられる環境」が幾重にも存在する。もはや山形においては「お昼だし、ランチでもいくか」と、「お昼だし、ラーメンでもいくか」がイコールにかなり近いところまで接近しているにちがいない。「お昼だし、ラーメンの出前でもとるか」というパターンさえある。
今更ながら、なんでこんなことになっているんだろう?と不思議に思う。
わたしたちは今日から「山形ラーメンの多様性を探索する旅」に出る。麺やスープの味や系統だけではない。営業スタイル、店舗、コンセプト、メニュー、使用具材、ビジュアル、ネーミング、働く人、いつもいるお客さん、佇まい、etc. ……「多様性」といっても、いろんな視点がありうるはずだ。
「おいしいラーメン」や「食べてもらいたいラーメン」を紹介するのではない。わたしたちは、山形のラーメンの多様な在りかたを見つけていこう。「こんなものがあるのか?!」という驚きや、面白さ。クレイジーさを伝えたい。きっと、山形のラーメンの寛容なる生態系のゆたかさをわたしたち自身が知ることになるのではないか、と予感している。
さて、旅の第1回である。わたしたちが出会ったのは、「どんどん焼き」の乗ったラーメン。どんどん焼きとは、山形ローカライズされたお好み焼きで、箸に巻きつけられて棒状になった薄っいお好み焼きの巻物を、ソースや醤油をベトベトつけて食べるという、懐かしきソウルフードである。幼い頃、もう40年も昔、霞城公園で小さな屋台をひいてどんどん焼きを売るおばあちゃんがいて、筆者はプールの帰り道に買い食いしている。1本100円だったかしら。うまかった。
そのどんどん焼きを今に伝える店のひとつ「coco夢や」が、しょうゆラーメンと融合したどんどん焼きを提供している。いや、どんどん焼きと融合したラーメン、というべきか。輪切りされているのは、食べやすさのためだろう。ときの経過とともにスープを吸ってぶくぶくしてくる。同時に、どんどん焼きに含まれていた油がラーメンスープ側に吐き出されてくるようでもある。炭水化物&炭水化物、小麦粉オン小麦粉。油プラス油。挑戦的である。
このメニューに出会ってあらためて思うのは、ラーメンはプラットフォームであって、いろんなものが乗りうる余地がまだまだ残されている、ということ。定番のネギやメンマを脇に寄せれば、中央にはまだいくらでもフリースペースをつくることができる。そこに山形らしさをオンすれば、ローカルラーメンの創作可能性はさらにひろがるのではないのか。山形においては、ラーメンはたしかにコンテンツでもあるのだが、可能性を宿したプラットフォームでもあるのである。
つづく














