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イドウ・エイシャのある風景

映画の街に暮らす(1)

2020.01.22

 山形国際ドキュメンタリー映画祭の開催を機に国内外から熱心な映画人や観客が集い、いつしか映画の都などとも呼ばれるようになった山形。そして201710月末、山形市はユネスコ創造都市ネットワークへの映画部門での加盟が認められ、この街のこれからの生き方と映像文化を重ねて考えていこうという公的な動きも始まり、ますますヤマガタはいい意味で文化の実験場になって行くんだなとニンマリする。一方で、その下地になったものは何だったのだろうとも思う。

 市民映画館の営業、劇場の無い地域への映画配給、映写技師、国際ドキュメンタリー映画祭、創造都市、そして時々の映画制作。この街で様々な映画の活動にかかわって30数年になるのだが、ある種の原風景がいつも自分の中にある。

 移動用映写機を車に積んでいろんな地域を回る。映画を紹介し自主上映を促すなかでその土地の人たちと出会い、上映の計画を練り、話し合いや準備を重ねる。会う度に気持ちも通い土地の文化や自然にも自ずと興味が深まってゆく。この土地の人たちと一緒に映画を楽しみたいという本音が肚に宿る。そして当日、映画のチケットを片手に訪れる様々な年代の人たちを、機会を作って来た仲間たちと共に出迎える。主催者の挨拶、やがて会場は暗転し、カタカタと映写機が回り、スクリーンに光が灯る。楽しんでくれるといいな。それが深いものであればいいな。いつも願うことは同じだ。映画という船に乗って、見知らぬ人たちと出会って、語って、メシ食って、酒飲んで、喧嘩もしたり、喜んだり、すこし人生が変ったり。映画が観たいとか見せたいとか、自分たちでやればいい。単純で、情熱的で、何でもありで、どこか大らかな自主上映と移動映写の世界。人の中に入って行く映画。結局、自分がやってきたことは、こういうことだったなと今は感じている。国際映画祭も創造都市も映画作りも、自分の中ではこの風景とどこか繋がっている気がする。

イドウ・エイシャのある風景

イドウ・エイシャのある風景

イドウ・エイシャのある風景
2012年シベール・アリーナ(山形市)の入口にて、チェコアニメなどの野外上映会をしたときの様子。写真上:布スクリーンの設置準備を行ったところ。写真中:階段の客席で映画の始まりを待つ親子や観客のみなさん。写真下:移動用35ミリ映写機を組み立ててフィルムを掛けてる様子。

 全国の地方都市の例に漏れず山形県も町や村から映画館が次々と消えて行った時代があった。一方、その動きに逆行するように当時44市町村で構成されていた山形県内には、1980年代後半まで、映画サークルや観る会など自主上映に取り組む団体が30を超えて存在していたのを知っている。それは、映画館だけに頼らず、フィルムを取り寄せて自分たちで機会を作ってしまおうという観る人たちからの実動であり、其処にこそ作品を展開していこうという製作者や配給者側の模索でもあった。地域を隈なく回り作品を紹介して映画の流通と地域住民による自主上映の関係性が途絶えないように動いてきた映画事業者も、そこには大きく関わっていた。

 製作・配給・上映・鑑賞という上から降りてくる映画の流通を観客視点で自主管理し直そうとする試み。そこには観たい映画と出会えるなら動機を持つ側から動いてしまえば良いという自治意識と濃厚な好奇心がある。いい塩梅に都会から離れている山形という地理的条件も、逆に新しい流通を組立てようとする独立的な気分と行動力を育てるのに好都合だったのかも知れない。

 そんな好奇心と自治意識をサポートして、様々な地域で観客側が仕組んだ夥しい数の自主上映の現場を成り立たせて来たのは、日本の映画文化の中に息づいて来た移動映写の伝統だと自分は思っている。出前の映画ライブ上映。屋内だろうが野外だろうが関係ない。基本、何処でも、上映します!というスタンス。組立てバラシが可能な移動用の映写・音響機材などがあれば可能なのだ。

イドウ・エイシャのある風景

イドウ・エイシャのある風景
室内での35ミリ映写機テストの様子(写真上)と、上映本番の様子(写真下)。正確な時期は不明、会場はおそらくシベールアリーナか。

 今の時代何処に居てもDVDやブルーレイや配信で見れるじゃんというのは確かにあるが、映画を観るということは本来、それなりの装置の中に出かけて行って他者とも共有するというライブ感覚が濃厚な文化なのだ。映画館やホールで映画を観たりするのはもはやマイナーなことになりつつあるのかもしれないが、映画祭を産み育てて来た素地はやはり、観るべきものと出会う場は自分たちが作って「共有する」という意思なのではなかったかと思う。

 山形国際ドキュメンタリー映画祭も、言ってみれば、行政とプロと市民が連動して取り組んで来た大きな自主上映みたいなものだとずっと思ってきた。そこは映画の共有の場だからこそ交流が始まるのだ。そして、作品の新しい展開や流通を作り出す場でもある。

 そんなわけで、「自主上映やりたい」、「移動映写やりたい」そんな人たちが、山形の津々浦々に増えれば面白いな。増やしたいなと思っている。それが映画祭や創造都市のこれからの下地を作っていくような気がするから。そして、何より楽しいから。

イドウ・エイシャのある風景
震災後の2011年5月、避難所になっていた石巻市立湊小学校の体育館での移動映写の準備風景。避難者の方々、ボランティアの方々、炊き出しをしている自衛隊員など。