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映画の街に暮らす(7)/大事なものを失わないためのバトンタッチ

地域の連載

2020.08.25

ユネスコ創造都市ネットワークに加盟した山形市は、いまや世界に誇る「映画の街」。その現在があるのは、映画とともに生きる人々がいたから。そして、映画に関わる様々な活動が蓄積されてきたから。連載「映画の街に暮らす」は、そうした記憶や想いや物語を、この街の映画文化に人生ごと深く関わってきた高橋卓也さんが語るシリーズです。

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映画の街に暮らす(7)/大事なものを失わないためのバトンタッチ

新型コロナウィルスの影響下、2020年3月から8月までを振り返ってみる。 この半年、自分は何をして来たのかといえば、相変わらず映画のことをやっていた。普段とは質が違う目まぐるしさだったとはいえ、曲がりなりにも映画をやってこられたことに感謝したい。

酒田沖の日本海に浮かぶ有人離島・飛島の今を描いたドキュメンタリー映画『島にて』。その山形県先行上映の宣伝業務について打診があり、配給会社「東風」から送られた試写用DVDを見てナマの島風に吹かれたくなり連絡船で渡ったのは3月25日のことだった。離島に暮らす人たちが映画の中で醸し出していた空気と、実際に島で会えた「合同会社とびしま」の若い人たちの表情や佇まいが同じであるという当たり前のことにこの作品の価値を改めて感じ、宣伝の仕事を喜んで引き受けた。

映画の街に暮らす(7)/大事なものを失わないためのバトンタッチ
『島にて』より

離島の暮らしを見つめたこの作品を多くの人たちと「共有」したい。そう思い言葉を発信し、人に会い、報道関係とも連携した日々だったが、同時に、コロナ感染拡大のなかで自分たちが孤立する感覚にも襲われた。4月中旬から県内映画館は営業自粛に入り、公開が危ぶまれた。そんな中で「仮設の映画館」というオンラインの手法で5月8日(金)から、その1週間後の5月15日(金)からはフォーラム山形でリアルな上映が、それぞれスタートした。

一方で、先行上映を予定していたもう一つの映画館・鶴岡まちなかキネマは4月19日(日)、閉館を発表した。劇場オープンから10年になろうとしていた。開館以来の赤字経営を背景に、感染拡大が引き金となったという。突然の発表と取返しのつかない内容に驚かされた。まちなかの劇場なのに、地域の人たちが積極的に映画を観て支えあうような関係性を作ることができなかったということか。映画館を日常的に呼吸させられるのは観客でしかないのだ、と改めて感じた。

たとえ閉館を免れた劇場であっても、再開しても、以前のようには映画館に人は戻って来ない状況が続く。新作がないために短いサイクルで上映される作品(優れた映画も)の多くは、1日わずか数人の観客のみであった。そんな中、映画『島にて』はフォーラム山形で5/15から4週間、フォーラム東根で6/12から2週間、そしてイオンシネマ三川では6/19から8/13まで上映された。県内劇場でトータル4ヶ月。異例のロングランである。7月12日、監督を迎えた舞台挨拶付き上映は、感染予防のために半分になったイオンシネマ三川の100座席全てが埋まった。

映画の街に暮らす(7)/大事なものを失わないためのバトンタッチ
7月12日、監督を迎えた舞台挨拶付き上映会にて

またその頃になると、一旦中止や保留になっていた様々な地域の上映企画が動き始めた。私も以前、山形国際ドキュメンタリー映画祭との共催上映としてフォーラム山形に提案しお蔵入りになっていた映画『太陽の塔』の上映企画を復活させ、準備に入った。こんな時だからこそあえて人に映画を見せたい。三密になり得ないようしっかりと対策された映画館に、人を呼び寄せたいと思った。

映画館は極端な減収で、スタッフ体制も一時的に縮小し、生き延びるのに精一杯。そんな時こそ、企画責任を別の人々が分担し、細やかな広報活動を行う「持ち込み自主上映」のようなスタイルが必要だと思った。パートナーとなる組織や個人の人脈やノウハウをそこに生かしていく。そんな意識的なバトンタッチの力が働いて広報が重層的になった時に、人は動くはずだと思った。

映画の街に暮らす(7)/大事なものを失わないためのバトンタッチ

映画『太陽の塔』。それは、科学による人類の進歩と調和をテーマに1970年の大阪万博会場に建てられ、50年後の今まで壊されずに屹立し続ける太陽の塔と作者 岡本太郎を巡って語られる人々の言葉を紡いだ曼荼羅のような映画だ。進歩に疑問を持つ岡本太郎がその塔に込めたものを、縄文、沖縄、アイヌ、東北、自発的隷従、贈与など様々なキーワードと視点から考察している。太郎の胸に深く蠢いていた人間に対する失望や願いが解き明かされて行くうちに、こうした状況を過ごしている自分(たち)にとって原初的な励ましのようなものが感じられてくる。

7月31日〜8月6日の7日間、フォーラム山形で初公開された映画『太陽の塔』は、300数十名の鑑賞者を得た。ここ数ヶ月では群を抜く「興行成績」。「太郎と山形と縄文」をテーマとした8/2の座談会付き上映会も、制限下の客席が埋まった。コロナ禍という状況下では劇場になど人は来ない、なんて常識を見事に裏切ってくれたその人たちは、映画を観ることを明らかに愉しんでいた。上映する側と観る側の喜びとは、実は同じなのだろう。

映画の街に暮らす(7)/大事なものを失わないためのバトンタッチ
8/2の座談会にて

見たい映画・見せたい映画を共有すること。まちなかや地域に出かけて自分の言葉で映画の面白さを伝えて活かしてゆくこと。そのことで、映画の送り手も逆に生き延びてゆく力をもらう。そうした日常的な関係とか循環の構築は自主上映の世界では当たり前のことだ。しかし、いま、その方法や意識や実動というものを、各映画館が失いがちになっているのかも知れない。そんな余裕はどこにあるのかと。そしてそれは、新型コロナ以前からの課題であったことに気づかざるをえない。

8/7から、山形県映画センターが主催となり、『お母さんの被曝ピアノ』という映画がフォーラム山形とフォーラム東根で公開されている。昭和20年8月6日、広島に投下された原子爆弾によって街と多くの命が一瞬にして消えた。その中で奇跡的に焼け残った被曝ピアノがあった。それを託された広島の調律師・矢川光則氏は、あらためて修理、調律して自ら4トントラックを運転し、全国に被爆ピアノの音色を届けて回っている。そんな矢川さんの実際の活動を軸に、世代を超えて原爆の悲惨さや平和への思いを伝えてゆく意味や困難さを見つめようとした映画だ。

映画の街に暮らす(7)/大事なものを失わないためのバトンタッチ
『お母さんの被曝ピアノ』より

どちらかといえば地味なこの映画が、今、この山形で、映画館にじわじわと人を集めている。フォーラム山形には、一日毎に30~50人の鑑賞者が訪れている。これは山形県映画センターと連携した生活協同組合や労働組合、学校の先生方などが前売券の販売を含めてここ1ヶ月程、地道な広報活動に取り組んで来た成果と言えるだろう。ある種のバトンタッチがここでも起きていたように思う。

バトンタッチ。それは、つまり、受け手が、一瞬、伝える側に変わるということだ。それが連鎖されてゆくときに必要とされるものは、実は情報ではない。この情報が溢れかえるなかで響くものとは、ただの情報ではなく、ある種の肉声に近いような言葉や知らせでしかないのではないだろうか。なにかしら、個人の確かな気持ちから発せられたことを感じさせるとき、そこに独特の動きや届き方が生まれるのではないか。そんな、大事なものを失わないためのバトンタッチが、いま、求められているし、生まれているように感じている。