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映画の街に暮らす(6) / あたりまえのようにそこに在る、かけがえのない営み

地域の連載

2020.06.18

映画の街に暮らす(6) / あたりまえのようにそこに在る、かけがえのない営み

 その人は「映画を作るよりも、映画館を作りたい」と言った。

 1984725日、山形の市民有志が建設した映画館フォーラムが開業した。私は、そのオープン初日に映画を観に行き、2ヶ月後、そこに就職している。

 そんな言葉を吐いたのは(株)フォーラム運営委員会 代表の長澤裕二さん。

 入社後、映画館のない地域で自主上映を進める部署(山形県映画センター)に異動して数年経った頃、ふと、映画製作に興味はないのですかと代表に聞いたことがある。おそらく自分としてはこの時、「そうだな、一緒に映画を作ろうか」と言って欲しかったのかも知れないが、返ってきたのは、長澤さん独自の意思が詰まった先の言葉だった。

 まず、自分は映画を観ることが何よりも好きだということ、だから観たい映画を一生観られるように同じ思いを共有できる人たちと、系列に属さないインディペンデントな映画館を作った。世界中で多様な映画が生まれていているのに、何しろ地方都市で出会えるチャンスがあまりにも少なすぎる。映画を作ってみたいと思ったこともあるが、自分にとっては映画館を建設することの方がよりリアルで重要なんだと、そんな言葉が続いたような気がする。

 映画館を作ることが重要とは、どういうコトなんだろう。

 古今東西の優れた作品を選んで上映する意志を持った映画館が、その街に1つでも、10年、20年、30年と在り続けることが出来れば、何万人、何十万人という人たちが世代交代しながら多様な映画に触れる機会を得て暮らすことができる。幼い時、青年期、歳を重ねて行くその折々に寄り添うように映画館があるということ。人の心や時間に物語を供給する。何気ないようで、それはとても壮大な歴史を作っていることじゃないのか。街に映画館があるって、そういうことだ。映画を作るのも面白そうだが、俺はそんな映画館をいろんな街に造りたい。これ、いい仕事だと思うんだよな、多様な映画に出会いたい人たちの拠点(映画館)の連なりから新しい流通が出来たら面白いし、本来そうあるべきだ。

 だいたい、そんなニュアンスのことを仰った。

 なるほど参りましたと私はニヤついていたが、そういう志の立て方もあるんだなと、実はけっこう高揚して受け止めた記憶がある。好きから始まる、或る種の公共事業みたいなものだなと。

 これもだいぶ前のこと、街づくりをテーマにしたシンポジウムに招ばれたことがある、文化人といわれるゲストや企業人や商工団体など様々な人と、街づくりはどうあるべきかという議論に交じって発言して欲しいというものだった。あ~だめだ、「街づくり」を意識して生きて来た自覚が全く無い自分には向かないと思いながら、油断しているうちに出席することになってしまった。やがて自分に発言の番が回って来て、こんなことを言ってしまった。「今この会議室で使われている『街づくり』という言葉を胸に抱いて街を歩いている人はほとんどいないんじゃないでしょうか。その言葉や感覚、リアルじゃないような気が…」。

 ある種のぶち壊し発言。その後しばらく、私は発言を求められなかった。

 この街に暮らしながら、活計の道であれ何であれ、好きなことや興味のある分野を愉しみ深めて行くことができれば幸せという感触をまず大事にしたいと自分は思っていた。続けて行けば、人の動き、流通、面白さ、滞り、やり辛さといったその分野独特の課題が徐々に見えてくる。改善にも素直に取り組める。そこで培われた視点や体験があればこそ、逆に別の分野の人たちと繋がって自分だけではできなかったことも可能になったりする。好きな事に自分なりの熱を持って動いている私と他の「私」が具体的に出会った時に、「私たち」という意識も改めて生まれるのではないか。それが、もしかしたら街づくりということに繋がるのかも知れない。最初から「街づくり」するぞ、ではない。あくまで自分にとってリアリティを感じる現場からなのだ。

 創造都市はそんな感覚が原点だと思っている、今も。

 この3ヶ月ほどの間、私たちが当たり前のように愉しんできた芸術や娯楽や食や様々な文化、そのリアルな共有を支えていた人や物の往き来や交わりが遮断された状況が続いていた5月下旬、山形国際ドキュメンタリー映画祭も度々お世話になってきた「鶴岡まちなかキネマ」と「丸八やたら漬け・香味庵」が相次いで廃業を発表し閉店した。

映画の街に暮らす(6) / あたりまえのようにそこに在る、かけがえのない営み

あまりにも突然のことで私も含めて多くの人たちが強い驚きと落胆を覚えたのではないだろうか。新型コロナウィルス感染拡大が直接の引き金とは云うものの業績の不振は過去に遡るとのことだった。いつもの笑顔や営みの下で起こって来たこと降り積もって来たこと、重ねられてきた計り知れない努力や苦労に多くの私たちは気づかなかった。ある種の後ろめたさに似た無念さを感じながら、現場の人たちの感情を察するしかなかった。

この街に良質の映画館があり続けること、その街にオーケストラがあり続けること、美術館や図書館があり続けること、美味しい食事や食べ物を提供するお店があり続けること。それは、豊かな自然が私たちのそばに息づいていることに似て、何気なく当たり前に其処にあるように見えていて、実はとても有り難く掛け替えのない営為であることを今更ながら感じる。

 志半ばの事業を私たちが引き継ぐことはできないが、この街でこそ花開いた物事や歴史や価値に改めて目を向けながら、それぞれの好きな道を切り拓き、私たち自身の営為を続ける努力はできる。むしろそれしか出来ないからこそ、何かを引き継ぐという意識をそこに込められるのではないか。それが私の中にある私たちという感覚かも知れない。

 5月中旬、山形県内の映画館の営業が再開された。ネット上の「仮設の映画館」でのみ公開していたドキュメンタリー映画『島にて』が、劇場のスクリーンに初めて映された。人が戻ってくるまでにどれほど時間がかかるのか、何の保証もない雪解けとはいうものの、映画館に光が戻ってきたことを喜びたい。

 私たちも、滞っていた映画作りの動きをあらためて再開させた。ドキュメンタリー映画『紅花の守人(もりびと)』の市民有志による製作委員会を正式に立ち上げたのだ。

映画の街に暮らす(6) / あたりまえのようにそこに在る、かけがえのない営み

映画の街に暮らす(6) / あたりまえのようにそこに在る、かけがえのない営み

 山形の在来種である最上紅花に関わる歴史や文化の奥行きの深さに戸惑いながら、紅花を次世代に伝えようとする栽培農家のご夫婦の静かな熱と人柄に惹かれて、2018年から撮影を始めた。ナイル川流域や中央アジア山岳地帯からシルクロード、中国、朝鮮半島を経て日本列島に伝わり、室町末期辺りから山形の地に根付いた紅花。最上川流域の独自の気候風土の中で農民の営為によって育まれ、人々を魅了しかつて豊かな富を生み出しながらも盛衰を辿ってきた小さな花。利便に引かれる人心の移ろいの中で放っておけば廃たれてゆくもの。あえて今、そこに寄り添う人たちの言葉をよく見聞きし解ろうとする旅としての映画作り。

 それもひとつの引き継ぎ方かも知れないとの思いも加わった。

 そして、丸八やたら漬本舗・香味庵の存在感を残したいという思いで、閉店が発表された直後から、少数の有志で撮影をスタートさせていただいている。山形国際ドキュメンタリー映画祭の開催の際に、「香味庵クラブ」という映画関係者や観客、市民の垣根を超えた自由闊達な交流の場として歴史的な役割を果たしてくれた、まさに山形の味のする空間だったと思う。今では海外の映画関係者の中には「KOMIAN」を懐かしく口にする人もいる。感謝を込めて記録に残したい。

 531日の最終閉店を約2週間後に控えていた日、新関社長にインタビューをさせていただいた際、最後に言われた言葉にとても強い印象を受けた。

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「今後何をするか、したいのか、まだ全然考えていないのです。まずは、約130年という歴史を持つこの店と仕事を、しっかりと閉めること終わりにすること、そこに全力を傾けます」

 

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