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山形移住者インタビュー・太田博也さん「山形のおいしい空気にすっかり浄化されました」

移住者インタビュー

2022.10.05

#山形移住者インタビュー のシリーズ。今回のゲストは美容師として働く太田博也さんです。青森県十和田市出身で、山形市に移住して10年。2022年に独立し、5月に美容室「パーマブルーブルー」をオープンされました。岩手県盛岡市と東京にも住んだ経験があり、地元でもない山形で自分のお店を持とうと思った理由とは。まずは太田さんが美容師として独立するまでの経緯から伺いました。

山形移住者インタビュー・太田博也さん「山形のおいしい空気にすっかり浄化されました」

「安室ちゃんに会いたい!」が美容師になるきっかけ

美容師を目指したのは、小学校6年生。当時、安室(奈美恵)ちゃんが大好きで、どうすれば彼女に会えるのかと考えときに「メイクアップアーティストになれたら、安室ちゃんに仕事で関われるのではないか…」と思ったのがきっかけです。両親にも親戚にも美容の仕事をしている人はいなかったのですが、小学生なりに考えた答えだったんでしょうね。

中学に入ってからもその思いだけはずっとありました。ある日遊び呆けている僕に担任の先生から「太田は将来、どうしたいんだ」と聞かれたことがあって。そこで初めて「美容系の仕事に…」と相談したら「いいじゃん!」って褒めてくれたんです。「メイクだけだと、仕事が少ないかもしれないから美容師の免許を取って、髪も切れるようになったほうがいいよ。両方できるほうがいい」ってアドバイスまでいただいて。その言葉を聞いて改めて目標が「美容師」になりました。

高校卒業後は岩手県盛岡市の美容専門学校へ。盛岡に決めたのは、高校生向けに行なっていたワークショップを体験しときに雰囲気が良かったのと、その頃付き合っていた彼女が盛岡の学校に行くというので…(笑)。でも今思い出しても、盛岡での2年間は楽しかったですね。「ドンドンダウン」という古着屋の初期メンバーの方に仲良くしていただいて、イベントではモデルとして参加したりも。お金はなかったけど、地元よりも栄えた場所で生活することが楽しい時期でした。

「いずれは東京に行きたい」という思いはあったけど、高校を卒業してすぐに上京する勇気はなく…。いきなり東京に行ったらくじけちゃう気がしていたんです。ワンクッション挟みたかった僕にとって盛岡での暮らしは、程よい準備期間になったと思っています。

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美容師は「察する力も大事」と太田さん。会話をしたい人、静かに待ちたい人を察知して接客をする。

就職先は東京の青山や広尾に店舗を持っていた「EXCeL(エクセル)」。2年目のときに「uka(ウカ)」に生まれ変わり、僕は約7年勤務しました。そのうちアシスタント期間は4年半。同期は10人いましたが、スタイリストとしてデビューできたのは半分ぐらい。中には辞めてしまう人もいました。朝早く出勤して練習。終わってからも終電まで練習。それが続く毎日は正直、キツかったですね。でもその中で、店には内緒で終電から帰った後に週3BARでバイトもしていて。34時間睡眠をとったら、また店にという生活をしていました。東京に友達もいなかったから、知り合いや自分のお客さんを増やそうと必死だったんですね。

スタイリストになるためにはカリキュラムがいくつもあって、それをひとつずつ合格していかなければいけません。例えばシャンプーも、ワンシャン、ツーシャン、トリートメント、マッサージと細かく項目が分かれています。カラー、パーマ、ブローの他に僕がいた店はヘッドスパにも力を入れていたので、その試験もありました。最終的にカットの合格ができれば、晴れてスタイリストとしてデビューできるのですが、先輩たちに近くで見られながらの試験は、超プレッシャー。アシスタント期は、厳しい世界ではありました。

その時代に、念願だった安室ちゃんを見かけたことがあったんです。シャンプーが終わったお客様を席にご案内しているときに、窓の外に安室ちゃんが…! 「僕はあなたに会うためにここで働いています」と心の中から伝えました。「美容師になって安室ちゃんに会う」という夢は一応叶いましたね(笑)。

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最近買った“ちょっといいすきバサミ”がお気に入りだそう。

東日本大震災をきっかけに山形へ移住

2011年の東日本大震災があった時、僕は2人目の子を妊娠中だった奥さんのお見舞いで病院にいました。すごく揺れて交通機関も麻痺状態。妊婦の奥さんを支えながら東京で暮らすことに恐怖を感じたのを覚えています。都会を離れたほうがいいかもしれないと直感的に思いました。山形で床屋を営んでいる奥さんの実家を継ぐというのが結婚当初からの約束だったこともあり、2012年に移住。山形での暮らしが始まりました。

暮らし始めてすぐは、やっぱりちょっと刺激が足りないな、とは思いました。だけど、とにかくごはんがおいしくて。お肉もお蕎麦も、居酒屋のごはんもおいしい。僕は食べるのも好きだから単純ですが「山形いいじゃん」ってなりました(笑)。

知り合いがいなかったので、気に入ったお店では積極的に話しかけて仲良くなったり。それがきっかけで僕のお客さんになってくださっている方もいます。山形の方は、一度打ち解ければ、長く来てくださる印象があります。僕がいるお店が変わっても、律儀に通ってくださる方が多く、それがモチベーションにも繋がっていますね。

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窓が大きく、光がたっぷり入る店内。

移住して4年後に離婚しまして…。そのときに当時の先輩から神奈川の店に来ないかという話をいただいたことがありました。山形で暮らし始めてからも東京に行く機会はあったので、都会での刺激に楽しさを感じてはいました。魅力的な店も多いですし、遊びも豊富。でも、どことなく漂う都会のにおいが苦手になっている自分もいました。山形でおいしい空気を吸って、すっかり浄化されたのかな。歳を重ねたのもあるのかもしれませんが「東京での生活は無理だ」と思ったんですね。あとは子供の近くにいたいというのもあって、山形への永住を決意しました。

山形にも素敵なBARや朝まで営業している飲み屋がこっそりあったりして、その静かな雰囲気のほうが心地いい。東京に遊びに行く度に山形の良さを感じることも。僕のマインドは、もう山形の流れとマッチしているんだと思います。

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ビニールハウスを借りるほどハマっているサボテン栽培。

山形にいたからこそ独立ができた

独立を決意したのは昨年です。たまたま知り合いから「居抜きで店を引き継がないか」とお誘いをいただいたことでした。「これは縁だ」と思って「やります」と即答。昨年末で5年半務めたお店を辞めて、今年の5月にオープンしました。内装は知り合いや友達に手伝ってもらって、ほぼ自分で。居抜きなこともあって、低予算でオープンすることができました。

東京にいたとしたら独立は叶わぬ夢だったかもしれません。個人だと銀行でお金を借りるのも大変ですし、家賃も高ければライバル店も多い。山形にいるからこそ、僕はお店を構えられたんだと思っています。独立願望はないほうでしたが、実際に自分のお店を持ってみるとお客様の思いをダイレクトに感じることができて、店で働いていた頃とは違った気持ちになれています。

お客様の対応ができる席をもう1席準備して、委託契約の人を募集中。子育ての合間など自由に場所貸しができればと考えているところ。UターンやIターンで山形に来る予定の美容師さんもウエルカムです。僕は“縁”を大事にしているので、フットワークは軽く、フィーリングが合えばどんどん広げていきたいですね。

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店名には出身地である青森の「青」を入れたかったそう。予約は電話もしくはInstagramのDMにて。

パーマブルーブルー
Instagram:@p.b.b.ota
住所:山形県山形市久保田1-7-5五十嵐ビル
TEL:023-608-1565

取材・文:中山夏美
撮影:伊藤美香子