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山形県天童市・移住者インタビュー/土井友希子さん「田麦野での生活は、楽しいという以上に幸せです」

インタビュー

2023.03.15

天童市の静寂な山間地に位置する田麦野地域は、水田の棚田が美しい風景をつくり、今でも山村ならではの生活文化が残る場所です。そこに2022年の4月、茨城県から移住されたのが土井友希子さん。天童市立 高原の里交流施設「ぽんぽこ」で、地域おこし協力隊の1人としてPR活動を行なっています。田麦野との出会いは、東北芸術工科大学でのサークル活動でした。まずは土井さんが美大を目指した経緯からお話を伺います。

山形県天童市・移住者インタビュー/土井友希子さん「田麦野での生活は、楽しいという以上に幸せです」

自然がきれいなところで絵が描きたい

神奈川県横浜市で生まれ、幼少期から父の仕事の都合で海外、国内を転々としました。小学3年生から中学校までは、タイのバンコクへ。そこでは日本人学校に通っていました。言語は日本語で、タイ語の授業は週に1、2回程度。友達のほとんどは日本人です。日本語の漫画もよく読んでいて、タイでも『少年ジャンプ』は大人気。バンコクにある紀伊國屋書店では3倍の値段で日本語版が売っているのですが、それを友達に借りて読んでいました。中でも『NARUTO』が好きになり、漠然と漫画家になりたいと思ったんです。漫画家さんの経歴などを見ていると、美術大学を出ている方が多かったので、私もそこを目指してデッサンを始めました。

高校から日本に戻り、茨城県で美術科のある学校に進学しました。入り口は漫画でしたが、その頃には絵を描くことのほうが楽しくなっていて、いつの間にか漫画家の夢もなくなっていましたね(笑)。1年生では鉛筆でひたすらデッサンの練習を。2年生になると専門的に学べるカリキュラムに分かれての授業がスタート。私は油絵を専攻しました。絵画だと、日本画という選択肢もありましたが、日本画はけっこう繊細な線を描いたり細かく描写していく行程が多いので、もっと大胆に描ける油絵に。油絵は繊細な描き方もできますし、反対に絵の具をビシャっとかけて大雑把に描く表現もできます。手や足で描く人がいるぐらい画材が自由。伸び伸び描けるところが気に入っています。

大学の選択肢には東京の美大も入っていましたが、人が多いところがあまり得意じゃなかったのと、大勢の人たちの中で競い合って絵を描くよりも自然のきれいなところで絵が描きたいと思ったので、東北芸術工科大学を選びました。洋画コースを専攻し、油絵の技術を習得していくとともに表現を突き詰めていくことを学びました。

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バンコクではさまざまな人種の人と触れ合う機会が多かったそう。

サークル活動で田麦野と出会う

新入生歓迎会でそれぞれサークルのブース紹介があるんですけど、そのとき目に止まったのが田麦野の写真を流したスライドショーでした。自然を求めて芸工大に入学したのもあって、その美しい風景は印象的だったんです。話を聞くと「みつけたむぎの」というサークルでした。現在私が働いている天童市立 高原の里交流施設「ぽんぽこ」を利用して、自分の制作をしたり、それを展示することで地域の方と交流するのがメインの活動。行き帰りは天童駅まで公民館の職員の方が送迎をしてくださって、あとは学生が自由に活動していいというものでした。直感的に入部し、大学院を卒業するまでの6年間在籍しました。

恒例行事のひとつとして8月に「キャンドルナイト」を開催しています。地域の方にとって、田麦野の風景は見慣れたものだと思うのですが、キャンドルを灯すことで違う風景を感じてもらうと共に、市内外の方が足を運ぶ機会になればと始まったイベントです。実は私が所属している間、部員が減少して自然消滅寸前になり、キャンドルナイトをすることができない期間がありました。大学院に進学したときに、どうにか再開できないかと地域の方にも協力をしてもらって復活。そのときは蕎麦組合の方のご厚意で、1日限定で蕎麦を提供してもらいました。今でもそのサークルはあって、月1くらいで学生が来ていますよ。

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キャンドルナイトの様子。今年も8月に開催を予定している。※土井さん提供

卒業制作は田麦野をモチーフにしました。「神さまのいる風景・ながれ」という作品は、田麦野で感じた“神さまの存在”から着想を得ています。田麦野では、屋敷神といって小さい氏神様を祀る風習があるんです。初めて存在を知ったときは衝撃的でした。神さまといえば、立派な神社などに祀ってあって、そこに拝みに行くイメージがあったのですが、田麦野では暮らしの中に神さまが溶け込んでいるんですね。山や自然に対する感謝の気持ちがあり、「自然=神様」の文化が存在する。その中で人が営みを続けている姿が美しいなと思いました。

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卒業制作の作品は今も「ぽんぽこ」内に展示されている。

いつか田麦野に移住したいと思っていた

卒業後は茨城県に戻って中学校の教員になりましたが、体調を崩してしまい、その後タクシードライバーに転職。東京で働き始めました。車の運転は何時間でもできるぐらい好きなのと、チームで働くことが向かない私にとってはピッタリの職業でした。しかし、ちょうどコロナ禍が始まった時期だったため、空車の赤いランプを見つめるだけの毎日に心が折れそうなときも…。そういうときには都内にある神社を見に行き、そこで感じたことを創作の材料にしていました。絵を描くことはずっと続けていて、都内のギャラリーで展示をさせてもらったこともあります。意外とタクシードライバーをしながら画家をされている方っているみたいですよ。そんな生活を1年4か月ぐらい続けていたところに、芸工大の先輩から「田麦野で地域おこし協力隊を募集しているよ」と連絡をいただいたんです。山形を離れたあとも、いつか田麦野に移住したいと思っていたので、飛びつくように応募しました。

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田麦野の棚田の風景。昔ながらの山村の文化が残る。※土井さん提供

得意分野を活かして地域をPRしていく

田麦野に移住してもうすぐ1年です。空き家を紹介していただいて一軒家に住んでいます。主な仕事は田麦野をPRすること。SNSで発信したり、自分の絵を使って公民館のチラシをデザインしたりも。棚田が魅力の田麦野ですが、米作りの担い手が不足しているのと採算が取れないというのが問題になっていて。少しでも付加価値が上がるように、ラベルのデザインを私が考え、商品化を目指しています。 現状、60代が若手と言われるほど高齢化が進んでいる地域なので、若い視点で情報発信できればと思っています。

芸工大生と長く交流を続けているおかげか、地域の方たちも若い人に対してフランクに接してくれ、「ちょっとお茶飲んで行ったら」とか縁側に招き入れてくれるんですよ。60歳後半から70代前半の方は行動力も団結力もあって、何かをするとなったときにすぐ集まって、すぐ動いてくれます。スペシャリストの団体のようなんです。

私が住んでいる家の裏手の山は獣の通り道でもあるらしく、獣が隠れて近づかないために草刈りをしないといけません。昨年は、その草を刈るためにスペシャリストの方たちに草刈り機の使い方を教えてもらいました。庭で山菜、畑では野菜が採れます。どこで役立つかはわからないですが、田麦野に暮らし始めて生活スキルは上がっている気がしますね(笑)。

山形県天童市・移住者インタビュー/土井友希子さん「田麦野での生活は、楽しいという以上に幸せです」
土井さんの絵を使ったチラシ。チラシ制作も土井さんの仕事のひとつ。

移住して、楽しさはもちろん幸せな気持ちです。今年は雪が少なかったので、初年度としては良かったと思っています(笑)。雪かきは重労働だから体がまだ追いついていなくて、疲れてしまうこともあるんですけど、周りの人がすぐ助けてくださるので、苦にはなっていません。街までは車で20分程度。大変に思われそうですが、車の運転が好きでタクシードライバーになったぐらいですから、買い物に行くのも億劫には感じていませんね。

秋に地域の方たちと展示をする準備中です。仕事をする中で、田麦野で工芸品を作っていたり、染め物を趣味でやっていたりする方がいらっしゃることを知りました。住んでいる方だけじゃなくて、例えば週末だけ田麦野で木工品作っているとか、何かしら田麦野に関わって製作活動をされている方もちらほらいます。その方たちをひっくるめて地域の中で交流を深めたり、地域の再発見になる展示会をしたいです。そこでは私の作品も展示したいなと思っています。

山形県天童市・移住者インタビュー/土井友希子さん「田麦野での生活は、楽しいという以上に幸せです」
今ある資源をポジティブにとらえて、地域の方と共に頑張りたいと話す。

 

取材・文:中山夏美
撮影:布施果歩