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中山ダイスケ × 山出淳也【前編】/ぼくらのアートフェス 4

2018.09.18

山形ビエンナーレ2018を機に、全国で展開されているアートフェスのディレクターとともにフェスの魅力と可能性を探る「ぼくらのアートフェス」というトークシリーズが開催されている。第4回のゲストは山出淳也さん、聞き手は東北芸術工科大学中山ダイスケ学長です。

中山ダイスケ × 山出淳也【前編】/ぼくらのアートフェス 4
左より、山出淳也さん、 中山ダイスケ東北芸術工科大学学長

世界的温泉地・別府で
膨大な数のアートプロジェクトを展開

中山:4回である今日のゲストは、山出淳也さん。はるばる大分県からおいでいただきました。大分には別府という温泉街がありますが、そこで「混浴温泉世界」とかBEPPU PROJECTという有名なアートプロジェクトの成功事例をつくってこられたアート・プロデューサーです。山出さんは話がすごくお上手なので、今日はもうすっかりお任せしようと思います。よろしくお願いします。

山出:みなさん、こんにちは。今日はぼくが主宰しているBEPPU PROJECTというNPO組織がどういうことをやっているか紹介したいと思います。そして、そうしたイベントやアクションが、そのあとどうつながっていくのか、そして何をもって成功と言うのか、そんなことをイメージしながら話を聞いてもらいたいと思います。とはいえ、ぼくらはこの10年で1000を超えるプロジェクトをやってきました。すべてを紹介することはできないので、そのうちのいくつかだけを紹介します。

中山ダイスケ × 山出淳也【前編】/ぼくらのアートフェス 4

さて、みなさん、別府に来たことはありますか? 人口約12万人、温泉の源泉数、湧出量とも日本一を誇るまちです。戦災もなかったので、古い路地がたくさん残っています。2000年には国際大学が開学し、外国人居住率は日本でもトップレベルです。

ぼくらBEPPU PROJECTというアートNPOの活動は、2005年から始まりました。活動の基本は、芸術文化の振興です。展覧会の企画、芸術祭のディレクションやプロデュースをします。学校や福祉施設へのアーティスト派遣事業もしています。アーティストが一定期間滞在するアパートの運営もします。フリーマガジンやWebなどによるまちの情報発信事業もします。地域産品をプロデュースするOita Madeという事業もやりました。これは大分県内生まれの商品や頑張っている生産者を応援する仕組みですが、地元の大分銀行さんがつくった地域商社に事業を譲渡し、いまはそこで運営されています。あとは、企業や自治体などに向けたコンサルのようなこともしています。それにどんどんドライブをかけ前進させるために、CREATIVE PLATFORM OITAという仕組みもつくりました。

こういった事業をやっているわけですが、ぼくらはアートやデザインの仕事をしているというよりも、この地域がより良くなっていくためにアートやデザインを活用していく、っていうスタンスで活動をしています。

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路地裏散策する人たちに
会いにいきたくなった

山出:このBEPPU PROJECTを始めるきっかけは2003年頃、ぼくがアーティストとしてパリで活動していたとき、たまたまネットで「いま別府が面白い」という記事に出会ったことでした。別府の旅館や地域の人たちがガイドとなってお客さんを案内する『路地裏散策』をしているという内容でした。イギリスのトラスト運動のように、地域の人たち自らが自分たちのまちの歴史や素晴らしさを自分たちで積極的に勉強して、そうして学んだことを観光客に伝えようということで始めたのだというのです。

別府の隣まちで育ったぼくは、この記事を読んで、その人たちに会いたくなりました。幼い頃、盆や正月に親戚みんなで別府温泉に泊まり、旅館でご飯を食べてまちを歩き、おもちゃを買ってもらったり、金魚すくいをしたり、という昔の光景を思い出し、あの別府のまちをぼくが知り合ったアーティストたちに見せたい、と思いました。アーティストたちはきっと別府からインスピレーションを得て作品をつくりたいと思うにちがいない、と思いました。それで、今でいう芸術祭を、このまちでやろうと思いました。アーティストがこのまちを見たら、ぼくらが気づかなかったまちの魅力や大切なこと、忘れてしまったことを思い出させてくれるにちがいない、と考えました。

そして2004年の暮れに日本に帰り、別府に行きました。帰ってみると、世界的な温泉地であり観光地であるはずの別府は観光客の姿もまばらで、空き店舗ばかりになっていました。でも、そんなまちを歩きながらぼくが思ったのは「余白」ということでした。新宿の歌舞伎町みたいに、まちが隙間なく店舗で埋め尽くされていたら、そこにぼくらが入る隙間はない。だから、空き店舗は、「関わりしろ」があるということだと思いました。『ドラえもん』に出てくる土管のある原っぱみたいな場所、あそこは悪いことをしたのび太の逃げ場であり、しずかちゃんと語り合う場であり、ジャイアンのコンサートステージでもありますよね。そういう「関わりしろ」なんだと。そんな思いで、2005年からぼくらはBEPPU PROJECTの活動を開始しました。

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一人ひとりが自分を表現できる
創造都市をめざして

山出:2007年、とある国際シンポジウムを開催しました。その頃、まだ国内には文化や芸術でまちを活性化する事例が少なかったのですが、世界的にはたくさん生まれていました。それを「創造都市」と言います。このときは「創造都市」を実践している方やその考え方をつくった方にも来てもらい、その人たちの話に一生懸命に耳を傾けました。「創造都市」という言葉を考えたチャールズ・ランドリーさんの言葉はとても印象的なものでした。

「創造的都市とは、社会に関わること、環境に関わること、行政に関わること、そして政府に関わること、全ての分野において、みなさんが創造性を発揮できるまちのことです」

つまり、そこに美術館があれば文化的なまちになるということではなく、一人ひとりが自分の想いを発信できたり、表現できたり、新しいことにチャレンジできたりするまち。チャレンジすることが許される場所のことなのだとぼくは理解しました。

また、このシンポジウムでは、ぼくもプレゼンテーションしました。まちの空き店舗をリノベーションして様々なコミュニティ・スペースとして活用し、高齢者の福祉施設にも入ってもらったり、アーティスト・イン・レジデンスができるようにしたり、商店街の2階を学生さんの下宿スペースにしたりする、というような構想です。そんなことを勝手に発表してみました。そしたら、やっぱり口に出して言うことはすごく大事なんですね、その翌年、この提案は市の事業として予算化され、実行されることになりました。

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空き店舗をリノベーションし
platform」として再生

山出:そうしてつくったのが、空き店舗や家屋をアートスペースなどにコンバージョンした「platform」というスペースです。別府のまちは、昼間は空き店舗が多い反面、観光地なので夜は飲食店と酔っ払いが多い場所になっていました。ぼくらはもっと若い方、女性、子育て中の方にもまちを歩いてもらいたいし、さらにはぼくらのようなアートの組織が活動拠点を持てば、関係する人たちも来てくれると思いました。つまり、まちを歩く人たちを変えていく、そういうデザインをしていこうと考えながら、スペースをつくっていきました。

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そうして8つの「platform」が誕生しました。そのうちのひとつは、築100年の古い長屋の一角です。耐震性の問題があったこの建物のリノベーションには予算的なハードルがありましたが、地元大学のゼミの研究対象としてもらうことによって、耐震補強と予算の問題をクリアすることができました。現在ここは、「SELECT BEPPU」というセレクトショップとして運営されています。このショップの立ち上げスタッフは、学生時代に東京から「混浴温泉世界」のボランティアに参加してくれた縁から、BEPPU PROJECTに就職しました。新卒ですから商売をするのは初めてです。商売人であるまちの人たちに助けを求め、運営や経理について教えてもらいながら、この店を人気店にまで押し上げました。やっぱり、地域の方にいかにその場所を育ててもらい愛してもらうかということが大事なんです。そのためには、地域の人たちと繋がっていくオープンな心がすごく大切だということを改めて感じました。

毎年恒例の市民文化祭
「ベップ・アート・マンス」

山出:ぼくたちが活動を始めた2005年には、アートやデザインというものに全く馴染みがなかったこのまちに、だんだんと面白い人たちが移住して来てくれるようになりました。2010年から、ぼくらは市民文化祭「ベップ・アート・マンス」を開始しました。毎年定めた期間内に開催される、文化にまつわる活動を幅広く募る登録型の市民文化祭です。登録された文化事業は、ぼくらが制作するパンフレットやwebサイトで紹介します。助成事業ではないので、参加者に金銭的な支援はありませんが、事務局として広報や企画などをサポートしています。例えば、電話受付やチケット販売を代行したり、参加者向けのお悩み相談会を開いたりするのです。

60代前後のお母さんたちが中心メンバーのフラダンスサークルは、2010年以来毎年参加してくれています。彼女たちはだんだん人に見られるのが快感になって、年を追うごとに衣装が派手になり、スカートの丈が短くなっています。市民だけじゃありません。小説家のいしいしんじさんが「その場小説」というイベントをしてくれたこともありましたし、本当にいろんな人たちが参加してくれました。会場もバラバラで、自宅を開放して写真展をした人もいます。なんでもあり、なんでもOKの市民文化祭です。初開催の2010年は27団体の43企画が実現し、年々増え続け、2017年は93団体が参加し107の企画が実現しました。それくらい、今、別府の人たちは文化的な活動をしています。

中山ダイスケ × 山出淳也【前編】/ぼくらのアートフェス 4
ベップ・アート・マンス


現代芸術フェスティバル

「混浴温泉世界」

山出:国際的な芸術祭「混浴温泉世界」は2009年から2015年まで3回開催しました。これはアーティストの作品がまちなかにあって、それをマップ片手にみんなが見て回るという、比較的よくあるタイプの企画です。2009年に1回目を、2012年に2回目を、そして2015年に最終回となる3回目をやりました。3回だけ、というのは最初に決めていました。BEPPU PROJECTが活動を始めたのが2005年です。10年経てばまちも変化しますし、ぼくらの役割も変わっていくはず。その検証と見直しをしたいということで、初めから3回だけの開催と決めていたんです。

中山ダイスケ × 山出淳也【前編】/ぼくらのアートフェス 4
(C)別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」実行委員会 撮影:安藤幸代/Sachiyo Ando

最終回である2015年は、「アート版路地裏散策」をしました。ぼくが別府に帰る大きなきっかけとなったあの路地裏散策です。10年間で地域についてたくさん学ばせていただき、まちの面白いところもたくさんみつけました。そういうところにお客さんを案内したいと思いました。なので、この時だけはそれまでとやり方を変えて、毎日ツアーを出すことにしました。つまり、ツアーに参加しないと見ることができない美術展です。ツアーは12便で、各便の定員は15人だけというとても限定的なものでした。

2時間ほどツアーをするのですが、夕方のまちを歩いていると、だんだん昼の時間の匂いから夜の時間の匂いに変わっていくのがわかります。温泉のまちなので、日が暮れてくると石鹸の匂いがしてきてとても色っぽい。飲食店は夜の営業に向けて仕込みをはじめ、おいしそうな匂いも漂ってくる。そんな夜の匂いに変化していくこのレトロなまちの路地裏を、アートを体験しながら歩くことで、その作品の世界観に触れながらいろんなことを感じることができるわけです。

また、過去の混浴温泉世界に参加してくれていたリピーターの人たちが、最後だからといって友達を連れて集まってくれて、穴場の温泉に連れて行ったり、以前知り合ったまちの人たちと一緒に宴会をしたり、翌日にはバスをチャーターして国東半島のアートプロジェクトを見にいったり、というような独自ツアーを自分たちで勝手にやっている、というような現象も起きていました。

混浴温泉世界を、統計的に見てみると、1回目の参加者は9.2万人。2回目は11.7万人。そして最終回は5.3万人でした。3回目の数字を見て「厳しかったね」と言う人もいますが、実はそうでもないんです。観光消費額という計算式によると、2回目は11万人来て、地域で使われたお金は42千万円。3回目は5.3万人で4億7千万円でした。むしろ5千万円増加しているんです。観光による地域への経済効果だけで言えば、お客さんの滞在時間によって地域への貢献度は大きく変わってくるのです。これだけが目的ではありませんが、税金を使っている以上、別府というまちのなかでアートを展開していくことがどんな効果を及ぼすのか、ぼくらには説明する責任があるので、こういう事実についてもしっかりと紹介しながらプロジェクトを組み立てているんです。

〉〉〉後編につづく



山出淳也 
Jun’ya Yamaide

 NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事/アーティスト
1970年大分生まれ。PS1インターナショナルスタジオプログラム参加(200001)。文化庁在外研修員としてパリに滞在(200204)。アーティストとして参加した主な展覧会として「台北ビエンナーレ」台北市立美術館(200001)、「GIFT OF HOPE」東京都現代美術館(200001)、「Exposition collectivePalais de Tokyo、パリ(2002)など多数。帰国後、地域や多様な団体との連携による国際展開催を目指して、2005年にBEPPU PROJECTを立ち上げ現在にいたる。
別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」 総合プロデューサー(200920122015
国東半島芸術祭 総合ディレクター(2014)
おおいたトイレンナーレ 総合ディレクター(2015)
in BEPPU」総合プロデューサー(2016)
国民文化祭おおいた2018 市町村事業 アドバイザー(2016)
文化庁 文化審議会 文化政策部会委員
平成20年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞(芸術振興部門)


中山ダイスケ
Daisuke Nakayama

1968年香川県生まれ。現代美術家、アートディレクター、(株)daicon代表取締役。共同アトリエ「スタジオ食堂」のプロデュースに携わり、アートシーン創造の一時代をつくった。1997年ロックフェラー財団の招待により渡米、2002年まで5年間、ニューヨークをベースに活動。ファッションショーの演出や舞台美術、店舗などのアートディレクションなど美術以外の活動も幅広い。山形県産果汁100%のジュース「山形代表」シリーズのデザインや広告、スポーツ団体等との連携プロジェクトなど「地域のデザイン」活動も活発に展開している。20184月、東北芸術工科大学学長に就任。

トークイベント撮影_根岸功