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いいまち、いい餅、いい団子。餅の星野屋・星野輝彦さん

インタビュー

2020.06.26

reallocalやまがた手土産シリーズで「丹波黒豆大福」を(勝手に)取り上げたところ、すぐにコメントを寄せてくださった「餅の星野屋」さん。そんな嬉しい繋がりをきっかけに3代目店主・星野輝彦さんへのインタビューが実現しました。山形の豊かなお餅・お団子文化を継承し、さらに盛り上げようと試行錯誤する星野さんのこれまでとこれからの物語です。

いいまち、いい餅、いい団子。餅の星野屋・星野輝彦さん
餅の星野屋・店主の星野輝彦さん
いいまち、いい餅、いい団子。餅の星野屋・星野輝彦さん
旅篭町にある現在の店舗

まもなく創業90年
歴史を刻む まちの餅屋

星野屋の創業は昭和8年。戦前のことです。十日町で修行した私の祖父が、旅篭町で店を開きました。戦時中には物資がなく米もないから餅がつくれず、下駄を売ってしのいだこともあったそうです。また、お餅がとても高価でお金持ちしか食べられない贅沢品だった時代もあったようです。

祖父が旅篭町に開いた店というのは、今のこの店からは数十メートルほど離れた場所の長屋の一角にありました。道路拡幅によってそこはもうなくなって、道路になっています。現在の私たちの店は、8年くらい前にそこから移転して開いたものです。

かつて山形市旅篭町や木の実町あたり一帯は賑やかな商売のまちで、「栄町(さかえまち)」とも呼ばれてきました。かつての星野屋があった長屋には肉屋や魚屋も並び、ちょっとした商店街でした。ご年配のお客さんのなかにはいまでもこの辺を「栄町」と言う方がいらっしゃいます。

祖父、そして私の父は、このまちで餅屋を営んできました。特に父が2代目として働いていた時代はまちに活気がありましたから、店を開けているだけであたりまえのようにお客さんが注文に来てくれました。市内の餅屋も数多く、30軒近くもあったのではないでしょうか。それぞれがそのまちをテリトリーとして商売してました。そのまちで祭りやイベントが開かれるハレの日には、大福や赤飯をたくさんつくったものです。

そんな時代ですから、幼稚園や小学校に通っていた頃の私は、日曜になると手伝いに駆り出されました。神社やホテルなどで行われる結婚披露宴も多く、その会場に赤飯の折り詰めを運び、宴席に並べるのです。午前中3件、午後にも3件、という感じでとても忙しく、赤飯を店から結婚式会場に運んでは並べ、運んでは並べ…したものです。

いいまち、いい餅、いい団子。餅の星野屋・星野輝彦さん
かつてお餅や赤飯を入れて運搬するのに使われていた木箱たちが、現在のお店に飾られている

仙台の学校と菓子店に学び
20代前半で山形にUターン

そんな感じでしたから、幼い頃から「お前、店を継ぐんだろ」って周りの親戚からも言われて育ったので、家業を継ぐことをあたりまえに思っていました。洗脳されてたんでしょうね。高校卒業後は仙台の調理師専門学校に行き、和洋中など様々な料理や菓子づくりの基礎をひととおり学んで、そのあとは仙台市内の菓子店に勤めました。何年か働くうちに母親が「お父さん、体の具合が良くないよ」って言うようになって、それで仙台の仕事を辞めて山形に帰って来ました。でも、悪いところなんか全然なくて…。ウソだったんですね。

父と母でやってきた店に私が加わるようになったわけですが、それまでふたりでやっていた仕事を3人でやるだけだから売上が増えるでもなく、むしろ店の業績としては良くありません。それに私は働き盛りなのに、父には父の商売のやり方があるので、こっちの自由にはやらせてもらえない。「帰って来たのに、なんで自分にやらせてくれないんだ」って、特に20代の頃はもう日々モヤモヤしていましたね。

それに、だんだん時代も変わってきて、結婚式とか祭りの注文がどんどん減ってきていました。つくったら売れるような商売ではなくなっていたんです。それを感じていたので、結構早い時期から「このままでは店が潰れる」という危機感を私は持つようになっていました。

いいまち、いい餅、いい団子。餅の星野屋・星野輝彦さん
「栄町」と呼ばれた旅篭町・木の実町のひとにとって、ハレの日に食べる星野屋のお赤飯は長く親しんだ味だ

新しい商品をつくり
新しい客層を広げる日々

そんななかで私がやりはじめたのは、父が店に並べていた醤油・あんこ・ぬた(ずんだ)という団子3種と大福とゆべしを主軸にしつつも、自分の新しい商品をつくることでした。それで売上げが伸びることもあれば、売れないものもあり…、試行錯誤の繰り返しでした。

バレンタインデーの時期に限定販売する「トリュフチョコ大福」は10年近くかけてじわじわ人気を獲得し、季節の定番にまで成長しましたし、reallocalで紹介してもらった「丹波黒豆大福」もそうしたチャレンジから生まれた定番商品です。ほかにも、わらび餅やチョコわらび餅はじめいろいろと開発し、商品の幅を広げてきました。

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リアルローカル「やまがた手土産シリーズ」で取り上げた「丹波黒豆大福」(photo: Isao Negishi)

既存商品にも改良を加えました。原材料の産地の見直しをしたり、つくり方を変えたり…。例えば、以前は朝に100個つくったらあとは並べて売るだけでしたが、より小ロットにして、10個つくっては売り、また10個つくっては売り…という小さいサイクルを細かく回すようにしました。このやり方のほうが、つくりたてでおいしいのでお客様にとってもいいですし、私たちも「できたてでおいしいですよ」って自信をもって販売できますからね。

また、新しい店舗に移転してからは、机と椅子を並べイートインスペースをつくりました。団子も大福もあんこ餅や納豆餅も、できたてのおいしさをその場でお客様に味わってもらいたかったんです。餅が売れにくくなる夏場には、かき氷も提供するようにしたことで、お子さんからご年配までより幅広い年齢層のみなさんに楽しんでもらえるようになりました。

私の代になり、今の店になってからはやりたいようにやってます。移転のタイミングで他のまちに行くという選択肢もあったのかもしれませんが、この栄町の餅屋として歩んできた店なので、よそでゼロから商売をやることは考えられませんでした。先ほども言ったように、それぞれのまちにそれぞれ餅屋があったわけで、餅屋はそのまちの祭りやイベントと共に生きてきたものなんですよ。

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定番のお団子(醤油・あんこ・ぬた・ごま) (写真提供:星野屋さん)

山形の餅と団子の文化を
もっともっと伝えたい

そもそも団子や餅って、基本的には米と水だけからできているものなので、すごくデリケートな食べ物なんです。気温や水分量にすごく影響を受けますからね。季節やその日の天候によって、人の動きも違うし、売上も違うし、実はおいしさも違うんです。朝晩寒くて昼は猛暑なんていう日は特に仕込みがむずかしいです。気温の変化を考えて水分量を調節したり、蒸し時間を変えたり…。プロだから味を毎日一定にしなきゃいけないけど、いろいろ調整してもやっぱりむずかしいんですよ。その意味では、毎日おいしさがほんのちょっと変わっているんです。

山形の餅文化というと、少し特殊なところがありますよね。例えば「ぬた(ずんだ)餅」と「納豆餅」は他地域ではあまりない、珍しいものです。ぬたは、仙台では「ずんだ」って言って、全国的には仙台名物のように言われてますけど、あれはもともとは山形の食べ物で、伊達政宗の時代に仙台に行った山形の職人さんによって向こうで広まったと言われています。山形では「ぬた」はあまりに日常的だから、名物とさえ思われないですけど。こういう餅の文化も山形の大きな魅力ですから、山形の温泉を楽しむように、山形の蕎麦を楽しむように、ぜひ山形の餅と団子を楽しみに多くのひとが来てくれたら…と願っています。

いいまち、いい餅、いい団子。餅の星野屋・星野輝彦さん
納豆餅も山形のお餅文化のユニークなところ。星野屋さんの店舗内でも食べることができる

かつては市内のそれぞれのまちにあった餅屋も、いまではその多くが姿を消しました。現在まで営業をつづけている餅屋であっても、そのいくつかは後継者がいないなどの理由でこれから店を畳むかもしれません。うちもどうなるかわかりません。このままでは山形の餅文化は本当に消滅してしまうんじゃないかと心配です。

餅屋さんっていいね、餅屋をやりたいなって思ってくれて、起業してくれる若いひとが現れることを期待したいです。もしもそういう志をもった熱意ある若いひとが「教えて下さい」って言ってきてくれたら、ぜひ喜んで教えたいですね。どうにかして、山形のまちと共にある餅と団子の文化を絶やさないようにしたいものです。

いいまち、いい餅、いい団子。餅の星野屋・星野輝彦さん
店内に立てかけられていた、餅を食うひとのイラスト

餅の星野屋webサイト:https://mochi-hoshinoya.jimdofree.com

(text 那須ミノル)

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