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わたしの山形日記 /「先生たち」との日々

連載

2022.04.25

やまがたにUターンして暮らす筆者が、なにげない日々のなかで見つけたこの街の魅力について綴る連載日記です。

 山形で生活していると、先生たちによく会います。ここでいう「先生」というのは、学校の先生やお医者さんということではなく「その道の先輩」といったような意味です。今日はその中の一人である「モリヤさん」というおばあちゃんを紹介したいと思います。モリヤさんはわたしの畑の先生です。モリヤさんのことをお話しする前に、少しだけ、わたしが畑を始めた経緯をお伝えします。
 
 2020年3月、コロナのパンデミック宣言を受け、当時青年海外協力隊としてフィジーに派遣されていたわたしは、一時帰国を余儀なくされました。帰国後は、何か活動しなきゃと思いつつ何をしたらいいのかわからない、という焦燥感の中におりました。周りを見渡せば、コロナ禍であっても気持ちを切らさず協力隊活動に励む者や新たな道に進む者がいて、それぞれの道を進み出す隊員がキラキラして見えました。かたや自分は、ボランティアにも情熱を見い出せず、仕事を探す気にもなれず、宙ぶらりんな日々が続きました。

 そんな中、リタイアした両親がしている畑に、何となくついていくようになりました。畑を始めたい!と熱い気持ちがあったわけではありませんが、もともと自給自足の生活に興味を持っていたこともあり「時間もあるし、畑に出るのは気持ちよさそう」と気分転換のつもりで始めました。初めは足腰の痛い両親に代わり、二人の指示のもとわたしが力仕事をする、という様な形で畑作業はスタートしました。

 わたしが畑に毎日通うようになると、だんだんと両親に「行ってきて~」と任されるようになりました。二人の足腰の不調もあり、徐々に一人で作業することが多くなりました。任されるとはいえ、初めて経験することばかりで、わからないことだらけ。「ん?なんか病気っぽいな…」「あれ?なんか枯れてきた…」「これで合ってる…?」「もう収穫していい?」頭の中は疑問の連続でした。

 そんなときにどこからともなく現れるのが、「先生たち」です。それは、あるときは、近所の畑の人だったり、またあるときは、通りすがりの見知らぬ人だったり。さらには、借りている畑が母の実家近くだということもあり、わたしの両親のことをよく知る人だったり、親戚が知り合いという人だったりするのでした。「あ~、ここ、こうすっといいんだ~」「こいつはまだ早いな」「ちょっとほっとけ」と、経験に裏打ちされた力強いアドバイスを、さりげなく与えてくれるのです。そんなかっこいい先生たちのうちの一人が、これから紹介する「モリヤさん」です。

わたしの山形日記 /「先生たち」との日々
我が畑の春

 モリヤさんは推定年齢80代後半。近所に畑を持っていて、毎日まいにち自宅から手押し車を押して、一人でそこへ通ってきます。わたしが夕方の時間帯に畑に行くと、ちょうどひと仕事を終えたモリヤさんが、わたしのいる畑を覗いていってくれます。

 モリヤさんはいつも「暗くなったじゃ~早く帰れは~」と遠くから声をかけてくれ、わたしが手を止めて近づくと「がんばるごど~」「お母さんなんた?(お母さん元気してる?)」と話し始めます。ときどき「これかねが?(これ食べない?)」と自分の畑で収穫したものを、手押し車の中からゴロゴロッと出してくれます。その採れたての野菜たちはどれも活き活きとしていて、いつも見た瞬間「んまそー!」と声が出てしまいます。また、ときには野菜の保存方法も教えてくれることもあります。たとえば、茄子は切って天日干しして、保存バックで冷凍すると冬の間も食べられるのだとか。「へー!」と感心して聞いてはいますが、聞いたからといってなかなか自分でやるには至りません。ずぼらなのです。でも、こういうやり取りそのものが楽しくて大事な時間です。そして全部ありがたくいただきます。

 モリヤさんはたった一人で広い畑をお世話しています。わたしが「毎日一人ですごいね~」と言うと、決まって「これしかでぎねんだ~」と言います。モリヤさんの半分も生きていないわたしは、モリヤさんよりずっと若くて元気なはずなのに、すぐ「暑いな」「疲れたな」と億劫になって畑にいくのが面倒になるし、草もいつの間にかボウボウになります。だからなおのこと、春夏秋冬、根気強くコツコツと畑で土や野菜のお世話しつづけているモリヤさんの姿をみると、本当に尊敬してしまいます。毎日まいにち手押し車を押しながら同じ道を通り、畑の世話をして、お友達とお話しして、また同じ道を通って帰っていく。それがどんなに難しいことなのか、できないわたしにはわかります。でもモリヤさんは「これしかでぎねんだ~」と言います。

わたしの山形日記 /「先生たち」との日々
いただいたズッキーニ

 昨年はトマトの支柱立てを教わりました。2、3本の枝を残して若い新芽を摘み、残した枝を支柱に結びつけます。新芽はどんどん出てくるので、大胆に摘まなければなりません。しかしわたしはこの作業が本当に苦手で、思い切りよく摘むことができず、タイミングを逃してしまいます。そのため枝がどんどん伸び、さらに小さい実がつき始めてもっと切るに切れなくなり、あっという間にこんがらがってしまいます。

収拾のつかなくなったわたしのトマトを見て、モリヤさんが「もっと切らんなね」とやり方を教えてくれました。最初にモリヤさんが見本を見せてくれ、それに倣って自分でやってみました。モリヤさんはやはり大胆に切っていきます。「こごいらね」「こごも切っていい」とバチバチっとはさみを入れます。あっという間にトマトの枝同士に隙間が生まれ、すっきりとしてきました。そして放射状に立てた支柱に枝を結んでいきます。モリヤさんのやり方と同じようにしたつもりでも、わたしがするとなにか違います。モリヤさんの仕事はトマトの流れに沿ってなめらかですが、わたしのそれは、枝を無理矢理にひもでくくりつけているような感じです。なんとなくトマトも居心地が悪そうで、もう少し修行が必要と感じます。

わたしの山形日記 /「先生たち」との日々
自分で支柱立てしたトマト

「早く帰れな~。んだらな~」とバイバイしたモリヤさんの後ろ姿を見ている夕暮れどき、ふと思うのは、「あとどれくらい、こういう時間が残されているのかなぁ」ということです。「モリヤさんもいつかいなくなっちゃうんだろうなぁ」と思ってしまいます。最近、父が脳梗塞で倒れてしまったということもあり、大切な人との永遠のお別れというものをより身近に感じるようになりました。もちろん、年齢順とはかぎらないけれど、もしも順当にいってしまうのなら、いろんな道の先輩として教えてくれるモリヤさんのような人たちは、いつかいなくなります。やがて自分がモリヤさんの歳になったとき、わたしは何かの先生になれるのだろうかと、不器用な畑を見ながら思います。

山形の人は「シャイで口下手」なんてことをよく聞きますが、その実はとても世話好きで、1聞けば10返してくれる方がたくさんいます。一見ぶっきらぼうな人ほど、熱く丁寧に教えてくれるなんてこともよくあります。この山形の地に暮らし生きている年配の方達の「マメさ」「勤勉さ」は本当に素晴らしいと思うし、いまできることをコツコツ行う様は、まさにわたしが憧れる姿そのものです。

 そんな「先生たち」との出会いが、日常生活にちりばめられています。そしてその時間が有限であるからこそ、あったかくてキラキラしてちょっと切なくて、尊いものだなぁとしみじみ思うのです。