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山形移住者インタビュー/ソラシド 本坊元児さん

移住者の声

2022.05.11

#山形移住者インタビュー のシリーズ。今回のゲストは、芸人 ソラシドの本坊元児さんです。

山形移住者インタビュー/ソラシド 本坊元児さん

出身は愛媛県松山市。高校卒業後に大阪に渡り、2010年に上京。20年以上におよぶ芸人人生で、次のステップに選んだのが山形の地でした。きっかけは吉本興業による「あなたの街に“住みます”プロジェクト」で、47都道府県に芸人さんが住み、地域に密着した芸能活動をするというもの。2018年10月に「住みます芸人」として山形市に移住し、テレビやラジオ番組出演のほか、西川町に通って農業をしたり、つや姫大使としてのPR活動など山形県全域で活躍しています。

山形に移住するまで、本坊さんの芸人人生は決して順風満帆なものではありませんでした。1997年にNSC20期生として吉本興業の養成所に入所。卒業後に水口靖一郎さんとコンビ「ソラシド」を結成し、大阪の舞台「baseよしもと」「京橋花月」で漫才を続けるも成果が出ず、2010年には上京して「ルミネtheよしもと」の舞台を目指すことに。

東京進出後は賞レースに挑戦しながらも、同期の活躍を横目に見ながら、建築現場や大工の仕事で生計をたてる日々。そんな中で舞い込んだのが「山形住みます芸人」のオファーでした。

山形歴はまもなく4年。2022年4月には山形での挑戦をつづった書籍『脱・東京芸人 都会を捨てて見えてきたもの』が発売されました。

出版記念として、特別な機会をいただき実現した今回の移住者インタビュー。山形で挑戦を続ける本坊さんの原動力はどこにあるのか。山形暮らしが本坊さんにもたらしたものとは。まずは移住の経緯からお話をうかがいました。

 

芸人人生のラストチャンス

東京に住んでいた頃はお笑いの仕事がなくて、大工で年収400万くらい稼ぐようになっていました。芸人でいったら高収入なほうですが、大工でどれだけ稼げても気持ちよくなかったんですよね。お金はもちろんほしいですけど、それより優先度が高いのがお笑いでした。

そんなとき「山形県住みます芸人」前任の落語家さんが山形での経験を生かして大阪に戻ることになり、空きが出たからどうかと、吉本から話がきました。「芸歴はあるけど売れてないソラシドはどうや?」と次長課長の河本さんが推薦してくれたみたいで。

言ってみれば「住みます芸人」は芸人活動の延命措置であり、ラストチャンスです。東京の息苦しさから抜けられる安堵感もあり、タレント活動を続けられる喜びもあり、そして山形でやってやるぞ!東京でテレビに出ることも諦めないぞ!という思いもあり。移住当初はいろんな感情が複雑に同居していました。

山形移住者インタビュー/ソラシド 本坊元児さん

前任からテレビやラジオのレギュラーと雑誌の連載を引き継いだのですが、実質は週4休みというゆったりとしたスケジュールでした。すると移住して数日後、ひょんなことから友達ができたんですよ。東京では芸人同士で遊ぶことが多かったのですが、芸人とは関係のない山形で初めての友達。ジンくんっていうんですけど、引っ越しの荷物を運んでくれた運送業のお兄さんで、その翌日の夜、道に迷った僕を偶然に助けてくれて。ジンくんから友達の輪が広がって、1年目はバイトしながら温泉に行ったり県内を巡って遊びながら、少しづつ山形に慣れていきました。

2年目になって吉本のベテラン社員がマネージャーについてくれて、一気に仕事が増えました。かつて大阪では番組制作のフロアディレクターを務めていた方で、やり手なんですよ。山形でもテレビ局の垣根を超えて新規開拓してくれたり、たくさん営業の仕事をとってきてくれました。

3年目に入ると、なんと全国放送のゴールデン番組『人生が変わる1分間の深イイ話』に出演できました。コロナをきっかけに2020年から西川町で農業を始めるんですが、それに密着してもらえたんです。なにより地元の人の反応が嬉しかったですね。まるで母校が甲子園に出場したかのように、僕の全国放送の出演を喜んでくれたんですよ。街で声をかけてもらうことが増えて、地元の人が応援してくれているんだと実感できた出来事でした。

 

街の一部という感覚

テレビやラジオのほかにも、いろんなお仕事をさせていただいています。自治体の方や地元の事業者さんに呼んでいただき自然のアクティビティを体験してレポートするとか、お店を取材するとか、講演会に出たりとか。幅が広がった分、お笑いの要素が薄まった感じもありますが、どんな仕事も面白くするのは自分次第ですから。お笑い番組ではなくても、ボケたら喜んでもらえますしね。

山形移住者インタビュー/ソラシド 本坊元児さん

仕事の種類やスタイルが変わって、自分自身にも変化を感じています。正直いままでは取材させていただいている相手に対して、「ありがたい」という感覚は薄かったように思います。もともと愚痴っぽい芸風で、少し攻撃的というか、カメラの前でも思ったことはなんでも口にしたりして。だけど山形では「この取材をきっかけに、この店やこの事業が繁盛するといいな」と思うようになりました。だからたとえ美味しくないものでも「不味い」とは言えないです。

きっと山形という街が、“自分ごと”になっているんでしょうね。山形のお金で僕は生きていますから。街が儲かったらイベントができてギャラが出るわけで。テレビ局が儲かったら僕らを使ってもらえるわけで。当たり前のことなんですけど、最近ようやく気づいたんです。

東京にいたときは全てのスケールが大きすぎて何も見えなくて、ひとつの仕事に関わる人が多すぎるし、予算の大半は株主や大企業やその役員に回っているんだろうなと、肌で感じていました。何千万円の予算の仕事なのに、なんで末端の芸人の僕らには8000円しか入らへんのやろうって。

山形移住者インタビュー/ソラシド 本坊元児さん

山形ではどんな現場に行っても最小限の人数で回していて、みんなが必死にギリギリでやっているのがわかるんですよ。誰かの一人勝ちはないですよね。ひとつひとつの店が儲かっていくと街全体が儲かって、観光も盛り上がって、行政サービスも充実してと、全部が繋がっている感覚があります。自分もその輪の中の一人だと感じているというか。

山形ではマネージャーとの連携が強くなって、会社(吉本興業)との距離感も近くなりました。マネージャーがどれだけ動いて調整してくれているのか、組織の意味とか仕事の仕組みとかいろんなことが見えるようになりました。山形に来てから人間として成長できた気がします。

 

コロナ禍に農業を始める

2年目からは仕事が増えていたのですが、コロナ以降はテレビ出演がリモートになり、営業はすべて飛んで、かなりの収入減でした。パン屋さんでバイトを始めたものの、それもクビになってしまって。吉本とは雇用関係があるわけではないので、自分でなんとか食べていかねばなりません。

そこでふと農業をやろうかなと思いました。自宅で一人籠るのも限界だし、静かに畑でじゃがいもをつくってカレーを食べながらコロナ禍をやりすごそうと。最初は市民農園を探したのですが山形市内では人気で借りられず、どうしようかなと思っていたら、インスタグラムを通じてとあるおじさんと知り合い、ジンくんら友達の協力もあって、そのおじさんから西川町の空き家と畑を月100円で貸りられることになったんです。

山形移住者インタビュー/ソラシド 本坊元児さん
西川町で「本坊ファーム」を始動。ドキュメンタリーがYouTubeにて配信中。

2020年3月から畑を始めました。まったくの素人だったので、ブログやYouTubeを参考に見よう見まねです。作業の様子をYouTubeで配信しながら、最初はじゃがいも、その年の秋には10メートルに2列、大根700本を植えました。

いろんな人から「近所の農家さんに教えてもらったらいいのに」と言われましたが、何もやらず最初から人を頼るのがどうも苦手で。しばらく一人でやっていると、周辺の農家さんが声をかけてくれるようになりました。僕が試行錯誤しているのを見てくれているから、誰ひとり間違っているとは言わずフラットにアドバイスをしてくれます。「こんなやり方もあるよ」という感じ。「うちの畑も見に来てよ」と誘っていただき勉強させてもらっていて、とても気楽で気持ちがいい関係です。

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本坊ファーム。ニンニク3500個を植えたところ。写真提供:本坊さん

農業の醍醐味ってなんでしょうね。成長が見られるのは楽しみですが、同時に草も生えてくるので、だる〜ってなりますし。大根の収穫はうれしかったけど、700本もやるのはしんどかったし(笑)。

僕が幸せだなと思うのは、畝(うね)をつくって土がふかふかで、草が生えていなくて、そこに種や苗を植えて水をあげるときですね。いったんやるべき事をすべて消化した状態で、これから育ってくるのを待つのみの、あのワクワクした気持ち。たまらないですね。1年だけでいいから西川町に住み込んで、完璧に農業だけやってみたいという欲求にかられています。

 

農業で稼ぐというチャレンジ

このように好き勝手に始めた農業ですが、吉本が販売を手伝ってくれることになりました。
オンラインショップのほか、道の駅に卸したり、マルシェに立って販売することもあります。

最初はジャガイモが採れすぎてしまって、少しでも金になるならと販売して売り上げは3500円。厳しいなぁと思いましたが、大根やニンニク、とうもろこしなどもつくったりして、約1年半の累計は170万くらいになりました。種代、苗代、設備代、吉本への販売委託費などは除きますが、少しづつ稼げるようになっていることもモチベーションになっています。

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本坊ファームの大根。新庄の「キトキトマルシェ」や「道の駅 西川」などで販売した。写真提供:本坊さん

最近では加工品づくりにも挑戦しています。採れすぎたカボチャを地元の婦人会が営む喫茶店でカボチャプリンにして販売していただいたり、「月山漬物」と共同で商品化を進めていたり。

野菜を道の駅に卸してみて、いろいろ思うことがありました。よく「地産地消」と聞きますが、農家さんのビジネスを考えると、単純に100%いいことだとは言えない気がするんです。たくさん採れる場所で売ったら値段が安くなるし、採れない場所で売る方が高く売れるんですから。道の駅や産直で安く売っているのは、きっと地元への還元の気持ちも込めてやっているんだと思うんです。

とくに漬物は日持ちもするし、野菜をそのまま売るより利益が出せます。いまの農業の薄利多売の大量生産だけが儲かるシステムでは若い人が参入しづらいはず。中小企業がもっと個性を出して輝ける、儲かるシステムが理想だよなぁと思いながら、試行錯誤しているところです。

 

しかたないと思えるときまで

山形に来てから「しかたない」って言葉が好きになりました。山形では自然相手の仕事が多いですよね。去年は霜が降りてさくらんぼが壊滅的だったし、大雪になれば誰もが雪かきに苦労します。大変だなぁと思って地元の人に話を聞いてみると、みなさん「しかたない」って言うんですよ。やるべきことを尽くしたのなら、いかなる結果も受け入れるしかない。淡々とやっていこうと、前向きに感じる言葉です。

山形移住者インタビュー/ソラシド 本坊元児さん
なぜ本坊さんは芸人であり続けるのか。「人生には優先順位がありますよね。人によってそれがお金だったり名誉だったりすると思うんですけど、僕は「笑い」を優先にする人が好きだし、そういう人たちと一緒にいるのが心地いいんです。だからずっと芸人を続けているんだと思います」(本坊さん)

これまでずっと自分の理想じゃない生き方をしてきました。逃げ場がなくて人のせいにしたり、ときには自分を責めたり、不平不満を言うことも多かったのですが、農業をやってみて地球は僕のために存在していないことがようやくわかったんです。いま出来ることを一生懸命やるしかなくて、チャレンジを続けて、それでもダメならしかたない。そう考えるようになったら、途端に気が楽になりました。

山形に来てよかったなって心から思います。「いつまで山形にいるんですか?」とよく聞かれますが、それはまだわかりません。いまは畑をやりたいし、10年後も仕事がある保証はないですし、まったく計画的ではないんですよね。この先はどうなるかわからないですから、しかたないって思えるときまでやり切るのみです。

新刊を書いたこともチャレンジのひとつです。吉本の作家養成セミナーが始まり、せっかくなので挑戦してみようと。大根の世話をしながら3ヶ月かけて書き下ろしました。吉本の出版部が推薦してくれて出版に至り、いろんな人の協力のもと仕上がった一冊です。たくさんの人に手に取ってもらえたら嬉しいです。

山形移住者インタビュー/ソラシド 本坊元児さん
新刊『脱・東京芸人 都会を捨てて見えてきたもの』。愛情あふれる芸人さんの世界や山形の人との素朴なエピソード、移住からコロナを経た奮闘などが、本坊さんの人間味あふれる目線でつづられています。撮影:リアルローカル山形

脱・東京芸人 都会を捨てて見えてきたもの(大和書房)
https://www.amazon.co.jp/dp/4479393846

取材・文:中島彩
撮影:伊藤美香子

備考

YouTubeチャンネル

https://www.youtube.com/c/honbouganji

本坊ファーム

https://honboufarm.thebase.in/

インスタグラム

https://www.instagram.com/honbouganji/