【愛知県岩倉市】「tebayo(てばよ)」に学ぶコミュニティ運営。
「まちづくり」「地域活性化」と聞くと、立派な志や、周りを巻き込む強いエネルギーが必要に思えるかもしれません。でも、もっと自分たちサイズの関わり方があってもいいのではないでしょうか。 愛知県岩倉市で活動するコミュニティ「tebayo」の3人は、「最悪、僕ら3人が楽しめればいい」と笑います。ボロボロの空き家のDIYから始まり、「全メニュー食べ尽くし企画」などユニークな活動を続けて丸10年。 義務感を手放し、自分たちのペースで確実に街の人々を繋いでいく「tebayo」流のコミュニティ運営に迫ります。

※tebayoの活動
岩倉市の空き家を借り、そこを中心に、「〇〇だってばよ!」と銘打ってイベントを開催しています。ヨガ、福祉の勉強会、市内飲食店の「全メニュー食べ尽くし企画」など。活動記録は、tebayoのFacebook、instagramからご覧いただくことができます。



「tebayo(てばよ)」の始まり
すべての始まりは2015年。岩倉市役所の先輩・後輩であった金森さんと真野さんが、当時、塩尻市役所の職員で、空き店舗を活用した「nanoda(ナノダ)」を主宰する山田崇氏の講演を聞いたことがきっかけでした。

当時、商工振興の部署にいた金森さんは、岩倉のシャッター街を何とかしたいという強い思いを抱えていました。そのため、山田さんが自らプライベートで空き店舗を借りて活動しているという取り組みに非常に感銘を受け、「これは岩倉でやっても絶対に面白い!もうやりたい!」と強く心を動かされました。
同じく山田さんの話を聞いていた真野さんも、大きな衝撃を受けます。日々の事務作業の中で「もっと地域のためにできることがあるのでは」とモヤモヤしていた真野さんは、「仕事で実現できないことも、プライベートな時間なら何でもできるんだ!」と目から鱗が落ち、ワクワクして自分たちでもやってみたいという衝動に駆られました。帰りの車の中で真野さんが「岩倉でやれませんかね?」と提案し、金森さんが「やろっか!」と応じたことで、活動の最初の芽が生まれました。
その後、知立市で開催された「第6次総合計画キックオフフォーラム」に山田さんが講演することを知った金森さんは、当時、岩倉市商工会で働いていた若手の加藤さんを誘い、3人でフォーラムへ向かいます。実は加藤さん、この時の山田さんの話は「公務員ではないので、全く刺さらなかった」と振り返ります。
しかし、商工会で働くうちに昔よく通っていた地元の喫茶店やスポーツ用品店がなくなっている現状に気づき、「自分の地元がボロボロになっている」という危機感をちょうど抱き始めていたタイミングでした。
自ら熱望したわけではありませんでしたが、「何かできることはないか」という思いと、「金森さんが言うなら一緒にやってみよっか」というフラットな気持ちで加藤さんが合流し、10年続く「tebayo」の3人の歩みがスタートしたのです。
衝動と現実のギャップ
活動の拠点を求めて動き出した彼らが最初に直面したのは、現実の壁でした。目をつけた空き店舗は家賃月6万円。当時の若手職員3人にとって、毎月2万円ずつの持ち出しは活動を断念させるほどの重圧でした。
一度は心が折れかけましたが、活路を開いたのは金森さんが築いていた地元のネットワーク。「岩倉五条川桜並木保存会」の方とのモーニングの席で、何気ない会話から「使っていない物件があるから貸してあげるよ」と提案されたのが、後に初代「tebayo」となる駅近くの古民家でした。
そこは築40年以上の物件で、10年以上人が住んでいなかったため、大家さんは「中も外も自由にやってくれていいよ」と、なんと家賃タダ(光熱費のみ)という破格の条件で貸してくれたのです。彼らにとって、これ以上ないありがたい申し出でした。
とはいえ、長年空き家だった空間はなかなかワイルド。電気以外はインフラを通さず最小限のコストで運用することにし、柱には隙間があり、最初のイベントではシロアリがひょっこり顔を出したという笑い話も。
しかし、この状況に加藤さんのDIY魂に火がつきました。「自分たちの手でなんとかするしかない!」と、仕事終わりに夜な夜な、自腹で資材を買い込み一人でリノベーションに没頭。土壁をハンマーで楽しく叩き壊し、自らペンキを塗って、空間を「自分たちの秘密基地」へと変えていきました。この泥臭くもワクワクするような身体的プロセスこそが、彼らの活動をさらに加速させる原動力になったのです。


「三兄弟」の絶妙なバランス
「tebayo」が10年続いた最大の要因は、主要メンバー3人の関係性にあります。彼らは自らを「三兄弟」になぞらえます。
金森さん(長男的役割): 広報や企画を前向きに進めるエンジン。「3人で面白くなければやめる」と時に冷徹な判断を口にし、あえて突き放すことで組織の純度を保つ調整役。
真野さん(次男的役割): 全体を見守るバランサー。自身のスキルアップを活動に還元し、外部との軽やかな接続を担う。
加藤さん(三男的役割): 自由奔放な意見が持ち味。大人しめだったが、最も大きな変化を遂げたリアリスト。
彼らは、自身の関係性をこう定義します。
「1人では折れる。2人だと喧嘩で終わる。3人なら、誰かが仲裁に入り、常にベストなバランスに自己修復できる。この正三角形こそが、10年続いた答えですね。」

「低ハードル」と「自分たちが愉しむ」設計
- 純粋な遊びとしての設計
「最悪、自分たち3人が楽しめれば100点。誰も来なくてもいい」という合言葉。仕事ではどうしても成果目標がつきまといます。しかし、そこから解放された「純粋な遊び」として設計することで、心理的燃え尽きを防ぎました。 - 失敗のコストをできる限りゼロに近づける
高額な家賃を避け、過剰なリノベーションも施さない。インフラも最小限に留める。この「身軽さ」が、利きビール、ヨガ、勉強会、スイーツ食べ尽くしといった多種多様なイベントを可能にしました。 - 「岩倉にちょっとだけ良いことをする」という唯一の鉄則
自由奔放に見える活動ですが、「岩倉の店で買う」「岩倉の人を呼ぶ」という緩やかなルールだけは守り続けています。この微かな地域貢献の意志が、単なる仲良しグループを「地域コミュニティの核」へと昇華させました。
最後に
今回の取材を通じて、私は彼らの姿に、放課後の部室で何時間も議論に耽っていた「部活」の原風景を見ました。
ローカルな課題に向き合うことは、時に厳しく、孤独な作業です。しかし、それを10年継続させるのは、大層なビジョンではなく「自分たちが愉しむ」という、シンプルで揺るぎない動機でした。かつて「地域を救わねば」と尖っていた加藤さんが、今では「めんどくさいなあ」と笑いながら、それでも一番楽しそうにその場所に居続けています。
まずは自分らしく楽しみながらいることが、コミュニティを継続させる秘訣のように感じました。
「地域のために何ができるか」と自問する前に、まずは気の合う仲間と、一杯のコーヒーを飲みながら「自分たちが面白いと思うこと」を始めてみる。岩倉の路地裏から生まれた「tebayo」の10年は、そんな小さな、しかし勇気ある一歩の価値を教えてくれているように思います。
今後は10周年を迎えるにあたり、その時々の熱量を声で残す「ラジオ配信」、参加者の挑戦を応援する「数珠つなぎ企画」、自分たちで興味があるものの資格を取得してのイベント化などを実施予定だそう。これから先10年、どんな展開になっていくのか楽しみです。















