人生は、常に道半ば。故郷で新たにバーをひらく/STREET BAR ON THE ROAD 戸津雄児さん
2025年7月、山形市七日町に1軒のバーがオープンしました。マスターでありバーテンダーの戸津雄児(とつ・ゆうじ)さんの偏愛が詰まった空間で、バーテンダーという職業の魅力や山形でバーをひらいた理由について、お聞きしました。
浜田省吾と猫と、サバゲーと。
偏愛空間が生む居心地の良さ
扉の向こうが気になるけれど、なかなか開ける勇気が出ない。中の様子は見えないし、場違いだったらどうしよう。お酒にそこまで詳しくないのに、マスターとの会話の中で、カクテルやウイスキーをスマートに頼めるだろうか。マナーや作法なんて知らないし、グラスをちょっとだけ持ち上げて「乾杯」などといったりすれば良いのだろうか。
アップデートが必要だという自覚はあるが、バーというと、かねてからそんなイメージがあった。いわゆる格式高い正統派のオーセンティックバーのような、粋な大人たちが集う社交場。勿論それはそれで良いのだが、構えることなく誰でも気軽に立ち寄れるバーが身近にあれば、お酒の楽しみ方の幅はもっと広がるに違いない。
〈STREET BAR ON THE ROAD〉を営む戸津さんは、筋金入りの浜田省吾ファン。ゆえに、お店の名はコンサートツアーのタイトルにちなんでいる。店内の至るところにツアーグッズが飾られ、モニターではライブ映像が流れている。
「浜田省吾さんを聴くようになったのは、中学生からです。なのでファン歴は30年以上。きっかけは、母親がよく車でかけていたので自然と覚えて、自分でも聴くようになったんです。浜田さんは70代ですけど、ステージが毎回パワフルで本当にかっこいい。あんなふうに年を重ねていけたら素敵ですよね」
ボトルが並ぶ棚の横には、もうひとつモニターがある。そこには可愛らしい猫。さらに別の猫、そしてまた違う猫。猫の写真が延々とスライドショーで映し出されている。
「まだちゃんとしたプレーヤーが用意できていないので、携帯で撮った歴代の飼い猫の写真をひたすら適当に流してたんですけど、お客さんが意外とちゃんと見てくれるんですよね(笑)。もしかして、このままでもいいのかな?と思ったりしてます」

浜田省吾ファンであり、猫好きであり、さらにはサバゲーが趣味だという戸津さん。東京時代、バーテンダーの師匠がサバゲーをしていたことから自分でもやってみたら面白く、そこからどんどんハマっていったのだとか。仕事が落ち着いて、気持ち的にも余裕ができたら山形でも再開したいと考えている。
お店づくりというと、全体のコンセプトであるとか、顧客のターゲットに合わせたメニューやサービス、空間のテイストなどといった側面はもちろんある。しかしながら個人店の場合、それ以上に大切だと感じるのは、店主の個性や「好き」が詰まった趣味であったり、そこにしか存在しない文脈のようなもの。それらが人を惹きつける理由であり、不思議な居心地の良さを生んでいるのではないかと思う。

山形の果物を使ったカクテルは
低アルコールやノンアルコールも
気づけばバーに対する先入観は覆され、すっかり緊張がほぐれていた。さっそくお酒を注文しようとメニューを手に取る。ドリンクのラインアップを見ると、一押しはフレッシュフルーツカクテル。そして、意外にもノンアルコールが豊富だ。
「兄が尾花沢でスイカ農家をやっていて、夏にはそのスイカを使ったカクテルも出していました。山形にはおいしい果物がたくさんあるので、フルーツカクテルは絶対にやりたいと思っていたんです。東京だったら大きな市場があって、日本中からいろんな食材が集まってきますけど、鮮度でいったら土地のものにかなわないですよね」
2000年代に入って以降、長らくブームが続いているクラフトジンも気になる。そもそもなぜ、ここまで人気があるのか尋ねてみた。
「ジンは作り方の自由度が高いので、特色を出しやすいんです。だからいろんな種類があるんですよ。ざっくりいうと、ベースのお酒にジュニパーベリーが入っていればOK。製法に縛りが少ないという理由は大きいでしょう」

アイスピックで氷を削る。グラスにスピリッツを注ぐ。シェーカーを振る。無駄がなく美しい所作は、つい眺めていたくなる。グラスはドリンクによって決まっているわけではなく、そのときの気分やお客さんを見て決めるらしい。そんな気の利いたおもてなしを瞬時にできるなんて、バーテンダーという仕事は奥深い。戸津さんいわく、ジンの香りを楽しむならワイングラスがおすすめとのこと。
「若い人はもちろん、幅広い世代の人が気軽に来れるようなお店にしたいですね。それから浜田省吾さんのファンの方も、もちろんそうでない方も(笑)。カクテルは度数が高いものばかりじゃないですし、ウイスキーならソーダや水で割ったものから試していただくのいいですよ。お酒が苦手な方にはノンアルコールカクテルや低アルコールのメニューもご用意しています。居酒屋だけじゃないお酒の楽しみ方を知っていただき、純粋にバーの雰囲気を楽しんでいただけたらうれしいです」
お酒をつくる。だけじゃない
バーテンダーという仕事
尾花沢市で生まれ育ち、高校卒業後から働き始めるも、やりたいことはすぐには見つからなかった。20代の頃は、山形と仙台を行ったり来たりしながら、飲食業や製造業などさまざまな仕事を転々としていたそうだ。30代に入ってからは上京し、足立区で暮らし始めた。当時知り合った友人に連れられ、亀戸にあるバーを訪れたときのこと。
「自分はそこまでお酒好きというわけでもなく、飲むといったらいつも居酒屋だったので、初めてのバーはすごく新鮮でしたね。いろんなお酒のボトルがずらっと並んでいて、マスターがお客さんの好みに合わせてお酒を作ってくれるんですけど、当時はカクテルの名前もお酒の種類もよくわかりませんでした。マスターは60代ぐらいの男性で、その人と話しながら、単純にかっこいいな、面白そうだなと思いました。こういう世界もあるのかと」
お客さんの要望に合わせてメニューにないものまで作るなんて、さぞたいへんな仕事だろう。一人ひとりの様子を見て接客したり、お店の雰囲気をつくったり。そう思う反面、やってみたいという気持ちはどんどん強くなっていった。このときの体験がきっかけとなり、バーテンダー歴は今年で15年になるという。
勉強のためにオーセンティックバーで働いていたこともあるというが、戸津さんが理想としていたのは、お酒と一緒におつまみやちょっとした料理も楽しめる、カジュアルなダイニングバーのような雰囲気のお店。当初は自分のバーをひらくことは考えていなかったけれど、徐々に仕事を覚えていくなかで、いつかやってみたいと考えるようになった。

最終的にどこで暮らしたいかを考え
故郷である山形に戻ることを決意
「自分でお店をやりたいとはいったものの、東京のどこでやりたいかと聞かれると、正直どこもピンと来ませんでした。老後のことを考えたら、東京は交通の便も良いし、公共施設や病院もあるし、一人暮らしでも住みやすいと思うんです。ただ、年齢を重ねるうちに、なんとなくここで暮らし続けてこのまま死にたくないなと思い始めて。それで、山形に戻ってお店を始めることにしました」
2025年5月にUターンし、お店は同年7月にオープン。山形へ戻るにあたっての情報収集や準備は、地元の友人や知人を介したり、東京の有楽町にある移住相談窓口を利用したりするなど、積極的に動いていた。
「バーを始めるなら、すずらん街か七日町が良かったので、物件探しにはけっこう苦労しました。そんな中、山形市内で〈hoku archidesign〉を営む中学の同級生の大類真光くんが、物件探しから店舗の内装まで相談に乗ってくれて、本当に助かりました。大類くんが仕事で東京に来ていたときに、自分が当時働いていたバーに立ち寄ってくれて、そこで再会したんです」
元は美容室で10年以上空いていたというこの物件。客席はカウンターと4名がけのテーブル席を含む17席ほど。落ち着いた照明が空間を包み込み、モダンな雰囲気ながらもあたたかみを感じられる。
空間づくりでこだわったのが、直線ではなく半円形のカウンター。お店に立つのは基本的に戸津さん一人なので、オペレーションの動線もふまえこのような設計にしたというが、お客さん同士の距離も自然と近くなっているようだ。

約30年ぶりに戻ってきた山形での生活は、まだ半年足らず。お店の近くに住んでいるので、今のところ通勤は徒歩か自転車だ。街中を自転車で走ったり歩いたりしていると、気づかなかったことに出会えることも多く、意外と発見があるという。
「霞城公園が駅からあんなに近くにあったなんて、知りませんでした。引っ越しやお店のオープンもあり、行きたい場所にはまだ行けていませんが、まずは山寺に行きたいですね。そういえば今年の夏、花笠まつりのパレードを初めてちゃんと見ました。自分は生まれが尾花沢なので、幼稚園の頃に法被を着て練習していたのが懐かしいです。今でも踊れる自信があります(笑)」。
「ON THE ROAD」という店名は、店主が浜田省吾さんのファンであるという理由があるが、それ以外にもう一つの意味がある。
人は皆、それぞれに目標に向かっている途中であり、常に人生の途上にいる。お店を始めるということは人生の大きな節目であり、そんな自分にとってこれ以上ない言葉だ、と戸津さんは語る。
バーへの扉はいつだって、あらゆる人に開かれている。まずは七日町にあるビルの2階、STREET BAR ON THE ROADの扉を開けてみてはいかがだろうか。
Data
STREET BAR ON THE ROAD
山形県山形市七日町2-3-14 ホーユービル 2F G号室
営業時間 18:00〜2:00
定休日 不定休
Instagram:@streetbar_ontheroad
写真:布施果歩(STROBELIGHT)
文:井上春香