移住者インタビュー/こころからバリアフリーな世の中に。山形ユニバーサル上映を届ける会 田畑優さん

函館市出身の田畑優さんは、11年前に大学進学を機に山形へ移住しました。現在は市の職員として働いています。
田畑さんは2025年、3月と11月に山形市で「ユニバーサル上映会」を開催しました。ユニバーサル上映とは、視覚や聴覚に障がいがある人も楽しめるように音声ガイドや字幕付きで映画を上映することです。
中学時代からたくさんの映画を観てきた、筋金入りの映画ファンである田畑さん。そんな田畑さんが、上映会を開催することになったいきさつをお聞きしました。
===函館で生まれ育ち、大学進学で初めて山形へ?
田畑さん:はい。それまで山形のことは何も知らなくて。ですが、住んでみたら性に合ったというか……自然が美しく、土地の人も温かいです。
また、私は大の映画好きなのですが、山形はドキュメンタリー映画祭で知られる「映画の街」。映画祭のボランティアもしましたし、たくさん通ったフォーラム山形は思い出いっぱいの場所です。大学時代は年に400本の映画を観ました。これまでに鑑賞したおよそ4,400作品はすべて記録しています。
大学卒業後も離れがたく、そのまま山形で就職をしました。


===「ユニバーサル上映」を知ったいきさつをお話しいただけますか?
田畑さん:3年ほど前から全国のミニシアター巡りをしていました。2023年1月、30カ所目に訪れたのが東京の田端にある20席ほどの小さな映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」でした。名前が私と同じで「素敵な名前だな」と(笑)。
そこは日本初のユニバーサルシアター。座席にイヤホンジャックが付いていて、上映するすべての作品を音声ガイドと字幕付きで楽しめる。車椅子スペースや親子で鑑賞できる部屋もあります。
私はここで、「すべての人に映画が開かれている」ということに感動して胸が熱くなりました。

===「すべての人に映画が開かれている」。そのことは、田畑さんにとって特別な意味があったのでしょうか?
田畑さん:中学、高校と悩んだ時は、いつも映画に救われてきました。たとえば、中学の時には映画「ジャック」(1996年/アメリカ/フランシス・フォード・コッポラ監督)の主人公に勇気をもらい、高校の時には「街の灯」(1931年/アメリカ/チャールズ・チャップリン監督)で、映画の美しさに心を奪われました。私にとって映画は、娯楽以上の意味を持つ大切な存在です。
私の〈ただただ映画が大好き〉という気持ちに変化があったのは、5年ほど前のことでした。ある映画の話をしていたら、難聴の知人が何気なく「字幕があれば観られるんだけどね」と言ったのです。
ふと発した言葉だったと思います。でもそれを聞いた時、私はとてもショックで。私にとって大好きな映画、それを観られない人がいるという現実に対して何もできない自分がもどかしかった。それからは映画を観ていても、どこかモヤモヤした思いを抱えていたのです。
そういうことがあったので、誰もが映画を楽しめる「シネマ・チュプキ・タバタ」に出会って、心の霧が晴れていくように感じました。
===その日に上映されていたのは、どんな映画だったのでしょう?
田畑さん:ドキュメンタリー映画「こころの通訳者たち」でした。耳の聴こえない人に演劇の魅力を伝える〈舞台手話通訳者〉たちの活動記録に「シネマ・チュプキ・タバタ」代表の平塚千穂子さんたちが音声ガイドをつける試みを追ったものです。
視覚障がい者、聴覚障がい者、手話通訳者、音声ガイド制作者といった方たちが「手話に音声ガイドをつける」という難題に、対話を重ねて挑戦する。そのあきらめない姿に勇気づけられました。

上映後、アフタートークで話されていた平塚さんに、購入した著作「夢のユニバーサルシアター」にサインをしてもらいながら「ここが日本で一番の映画館です」と感動を伝えました。
さらに、帰りの新幹線でその本を読んだら、「街の灯」と「ジャック」という私の大切な二つの作品が、同館設立に関わる人たちにとっても大切な作品として紹介されていたのです。驚きと嬉しさで、すぐに平塚さんにSNSで長文のメッセージを送りました。「自分もできることをやっていきたい」と添えて。
すると、平塚さんから「山形でユニバーサル上映会をしませんか?その時は全力で協力します」と返信がありました。とても嬉しくて「この言葉を無駄にしたくない」と思いました。

===それから山形市での上映会に向けて経験を積まれたのですね。
田畑さん:すぐに仙台市の上映会制作ワークショップに応募して、同市で開催される短篇映画祭にスタッフとして参加しました。そこで上映作品を提案して、2023年に「こころの通訳者たち」を、2024年は「街の灯」をユニバーサル上映してゲストに平塚さんをお呼びしました。

===シネマ・チュプキ・タバタでの運命の日から2年ほど……ついに2025年、山形市でユニバーサル上映会を開催されました。しかも3月と11月の年に2回。1回でも大変だったと思いますが……。
田畑さん:3月には「こころの通訳者たち」を、11月には「素晴らしき哉、人生!」をユニバーサル上映しました。
「こころの通訳者たち」の上映会では遊学館の大ホールがほぼ満席、291人もご来場されました。上映後にロビーにあふれる明るい表情を見て、感無量でした。

その後、しばらくは気が抜けたようになり風邪ばかりひいていたのですが、アンケートでいただいた「また上映会をしてほしい」「障がいの有無に関係なく支え合って生きていきたい」といった血の通ったメッセージを見返していたら「一度きりで終わらせず、山形からユニバーサル上映会の輪を広げていきたい」という思いがこみあげ、再び上映会に向けて動き出しました。
11月3日に開催した「素晴らしき哉、人生!」の上映会には175名の方にご来場いただき、6、70台のFMラジオ(音声ガイド)の貸し出しがありました。
2回目の上映会では宣伝があまりできず精神的にもしんどかったのですが、前回も手伝っていただいた職場の後輩や、県立点字図書館の方たちのご協力もあり、何とか当日を迎えることができました。
2回の上映会を通じて、ユニバーサル上映について山形のみなさんに考える機会を提供できたかな、と思っています。


===これまでを振り返って、今のお気持ちは?
田畑さん:山形の映画界で思い出すのは、ドキュメンタリー映画祭の元事務局長の高橋卓也さんです。映画祭や上映会でお会いするたびに「よお!ありがとう!」と挨拶してくださいました。高橋さんの「ありがとう」という言葉がずっと心に残っていて。その真っすぐな言葉から、本当に映画を愛していることが伝わってくる、とてもかっこいい方です。
高橋さんのように映画のために生きてきた方々のおかげで、山形には「自分が観たい映画は自分で上映する」といった思いや、映画を愛する心が育まれている。そういう街だからこそ、上映会が開催できたと思っています。

これまで私は、山形でたくさんの経験をさせてもらった。その恩返しをしていきたいという気持ちもあります。
次の夢は、日本の古い名作映画を上映すること。その作品はバリアフリー対応ではないので日本語字幕がつくられていないのですが、実は、作品の権利を持つ映画制作会社から字幕制作の許可をいただくことができたのです。
なんとか自分たちでバリアフリー日本語字幕をつくり、字幕を必要とする当事者の方々にチェックをしていただき、上映を実現したいと思っています。
シネマ・チュプキ・タバタの平塚さんの活動の原点であり、私にとっても大切な映画、「街の灯」を作ったチャップリンは『人生は願望だ、意味じゃない』という言葉を残しました。
私も、自分がやりたいこと、素敵だと思うことをやっていきたいです。

あとがき
11月の上映会のアフタートークで、平塚さんは「田畑君のようにユニバーサル上映の意義や価値を感じてくれた人が上映会を広げることで、一緒に鑑賞した方々が『視覚や聴覚に障がいのある人も映画の観客である』と気づき、身近な存在と感じることが大きい」と語っていました。
「見えないから(あるいは聞こえないから)、映画の話はしにくい」。見える、聞こえる人のそうした思い込みが、実は最も大きなバリア(障壁)なのかもしれません。
「白杖を持つ人も手話で会話する人も、上映後のロビーで楽しそうに会話している様子が何よりうれしかった」という田畑さん。
全国の映画館や上映会でそうした光景が当たり前になる時、世の中は今よりずっと優しくなっているはずです。
メモ:2016年に映像作品に字幕や音声ガイドを提供するUDCastアプリがリリースされてからは、劇場公開映画の情報保障(障がいのある人が情報を入手するにあたって必要なサポート)は格段に変わった。しかし、邦画やアニメの話題作などについては大手が対応する一方で、洋画や低予算で製作されるドキュメンタリー、インディーズ映画の情報保障率は未だ低い状況にある。
2023年に公開された邦画のうち、バリアフリー対応のものは全体の21.49%、洋画においては1.4%という調査結果がある。(一般社団法人Japanese Film Project調べ)
取材・文 板垣美加













