real local 山形母を看取らば~ある認知症介護の記憶 Vol.2 | reallocal|移住やローカルまちづくりに興味がある人のためのサイト【地域情報】

母を看取らば~ある認知症介護の記憶 Vol.2

地域情報
2026.09.01

2009年のGet Back

 2009年6月のある晴れた朝、妻から離婚したいと告げられる。
 おたがい地方出身者。でも妻は5大都市圏のひとつに生まれ、成人もそこで迎え、社会人生活数年を経てからの上京。東京への執着よりも地元愛が深く、両親が暮らす実家をもっとも快適な場所と思っていた。
 財産分与や慰謝料請求などはいっさいなし。その朝の10分ほどの話しあいで、約3年の結婚生活はおわった。ほどなくして、彼女は郷里へ帰っていった。

 ちょうどそのころ、ふたりの姉たちから母の異変を知らせる報告を受けた。
 隣県に暮らす長姉の家へ母はなんどか電車で訪ねていたが、その日は予定時刻を大幅にすぎても姿をあらわさない。数時間後ようやくやってきた母は、山形駅からまったく別方向の電車に乗車、ずいぶんしてからまちがいに気づいたという。
 また首都圏に暮らす次姉が帰省した際、ご近所さんから「これから先、お母さんをひとりで暮らさせてはいけないよ」と忠告されたと。ぼく自身も母の様子がおかしいことは何度か感じていた。

 母の母、つまりぼくの祖母は晩年認知症を患い、けっこう長い期間を介護施設で過ごして天命をまっとうした。祖母はアルツハイマー型認知症だった。この病いには発病率は低いものの、原因遺伝子が子に引き継がれるケースがある。母が認知症である可能性は排除できない。

 当時ぼくはフリーランスの編集者として、ある大型広告キャンペーンの仕事をしていた。
 マスコミや広告産業はとうの昔から制作会社やフリーランサーなくしてまわらなくなっていた。内部で人材を育て、その人材の20年、30年後の人件費を保証できるほど、おおきな産業ではない。必要なプロジェクト、番組ごとに専門性のある、熟達した社外のプロフェッショナルに委託する。それが業界のビジネスモデルだ。

 そのころ、ぼくは43歳。編集者としての社会人生活は20年を数えていた。
 ふたりの姉たちはそれぞれ就学児がいる家族の母親であり、同時に稼ぎ手のひとりだった。姉たちの家族の事情や働き方と比べて、ぼくはあまりにも身軽だった。
 当時手がけていた広告キャンペーンの仕事は、ほかの誰かに譲ったところでおおきな影響はない。
 Get Back…おまえのもといた場所へもどれ。どうやら、そのときがきたようだった。

 ときはさかのぼり、2005年。父が先に他界した。その年の春先、夫婦ふたりで出かけた長崎への旅の途中、父はからだの不調を訴えた。帰宅後、かかりつけ医を訪ねると総合病院の受診を勧められる。向かった先の市立病院で末期がんと判明、余命4カ月と告げられる。
 ぼくたちきょうだいはそれぞれの都合をあわせて、病室の父を見舞った。いつ訪ねても、備えつけのパイプ椅子に腰かけた母の姿があった。

 お盆の時期になり、ぼくを含めて姉たちの家族全員が山形の実家に集まる日がきた。病室の父は入院したころと比べものにならないほど痩せおとろえていた。すでに意識も混濁している。
 このタイミングしかないと思った。主治医に父の退院を申し出る。快諾していただけた。

 ひさしぶりの大人数の夕食に母はいきいきと働く。子どもたちは庭で花火に興じている。茶の間の食卓に夕食が並ぶと、隣接する居間で横臥する父にひとくちだけでも、と次姉は小皿にとりわける。その日の昼前、父は4カ月の入院から我が家に帰っていたのだ。
 正座した膝に父の半身をのせて、食事をくちにふくませようとしたその瞬間、次姉が声をあげた。父は絶命していた。74歳だった。

 葬儀をすませ、姉たちはそれぞれの家に帰っていった。役所などの手続きにぼくは残り、いよいよ明日は東京へ帰るという晩、はやめの夕食を近所の店で母とふたりでとった。その帰り道、暗くなるまではまだ少し時間がある。隣りを歩く母を陽射しがまぶしく照らす。
「わたしのほうが先にいくと思ってたのにね」よくとおるいつもの口調で母は言う。つづけて少しトーンを抑え、自分に言い聞かせるように言葉をつなげる。「だれの世話にもなりたくない。ひとりで生きていく」と。

 2009年の年の瀬もいよいよおおづめのころ、かつて妻と暮らしていたマンションの1室を引き払い、ぼくは山形へ帰っていく。くだりの新幹線は数日後には東京へもどる往復便、そんな生活を25年つづけてきたが、こんどの列車は片道切符。
 峠のトンネルを抜けて山形県内に入ると、青空だけど、数日前の雪が線路の両脇に溶けずにのこっていた。
 クリスマス前後の冬のはじまりを告げる大寒気団の襲来。そのいっときの豪雪も、やがてくる小春日和があらかた消してしまう。雪国の冬ははじめこそゆるやかな階段をのぼっていく。本格的な冬は年を越してから。そのサイクルがくりかえされる地へ、もどってきた。

 以前母がつぶやいた言葉が、こころにひっかかっていた。お母さん、ごめんね。でも、もうそういう状況じゃあないんだ。ご近所さんも心配している。
 帰宅して数日後、あの日の言葉についてきいてみた。だれの世話にもなりたくない…という。
「そんなこと言ったかしら?」笑顔を浮かべながら、母は言葉をかえした。

(つづく、次回は10月下旬公開予定)

#母を看取らば