real local 山形 » 西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼【地域情報】

西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼

2017.07.12

山形市の西へ西へ。
車走らせてみましょっか。

西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼
山形市西部にそびえる富神山(とがみやま)は高さ400mほどのほどよい大きさ。綺麗なカタチをしているけど見る角度によっては微妙に歪むので、僕らはあたり一帯を色々走り回ってみてここから眺めるのが一番キモチ良さそう、とここで一旦車を停めて。
西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼
富神山のすぐそばの山道を白鷹方面へうねうねと走っていると、鬱蒼とした緑に包まれた山の案内図に出くわす。ここが富神山の西登山口入口。「関ヶ原の戦いの頃、直江兼続の軍が最上義光の山形城を攻めるために、この山頂に登り、山形城の様子を眺めようとした」という史実が記されていました。
西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼
登山口を覗いてみれば案外と狭い道幅。人の気配もあまりなく、ゆらゆら揺れる木々の葉がこっちへおいでと手招きしているようにも見えてくる。歩き出したい衝動に駆られたけど、長袖を来てこなかったので登山するのはまた次回、と諦めました。

西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼

西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼
山頂の高さ403m。「富神山山頂これより531m」。次回はこそ必ず、一歩を踏み出したい。
西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼
「農作物・山の植物を採らないで」「写真に撮りましょう」
西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼
ここまでずっと車を走らせてきた山道は山形市と白鷹町を結ぶ県道17号山形白鷹線。江戸時代には「狐越(きつねごえ)街道」と呼ばれていた峠だそうで、今もその名前は生きているみたい。さて、その道から一瞬外れた僕らの眼前にパッと広がったのは「荒沼」でした。
西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼
静かなほとりで何人もの釣り人たちが無言でじっと釣り糸を垂らしていました。水面は夏の日差しを反射してキラキラ。
西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼
荒沼のすぐそばの「荒沼大明神」。「応永(1394〜)年間、領主・最上直家が荒沼に奉られていた箱根権現の分霊を沼明神と名づけ、ここから荒沼大明神として祀られるようになりました。荒沼は田に水を引く灌漑池として作られ、この沼の出現によって西山形の数百町歩の田が開墾されました。」
西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼
荒沼のすぐそばの道路からの眺め。すぐ手前に見える三角の山が富神山。その先に広がっているのが山形市の中心街とその周辺。そのずっと向こうに幾重にも連なる山々の稜線がほんと美しい。
西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼
向こうに山、手前も山。そのあいだに広がる山形の街は、確かに盆地にあるのだということがよくわかります。夏のうだるような暑さも、冬のしんしんと雪積もる寒さも、この地理と地形ゆえなのでしょう。山と山のはざまにみんな生きて暮らしてます。
西を走り、西から眺める/富神山、狐越街道、荒沼
最後のこの眺めは、さらに狐越街道を白鷹方面へ行ったところ。山形市の双葉地区の礫石集落の先にあった「恋人岬」と名づけられた展望台より。手前の三角が、やっぱり、富神山。けっこう西の端っこからの山形の街の眺め。

以上、僕らのとある日の山形の西のドライブの記録、でした。

photo by Isao Negishi

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