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山形ゆかりの大手組織による堅実でシックな建築群「山形県立博物館ほか」/ 建築で巡るやまがた(8)

地域の連載

2020.08.11

建物にとって築50年(半世紀)というのは一つの大きな節目といえます。国の登録有形文化財制度では、築後50年以上経過していることが前提とされます。今から50年前というと、高度経済成長期で山形市内でも公共施設や民間の大きなビルが次々と建設されていた時期です。霞城公園に残る山形県立博物館もまさにその時期、ちょうど50年前の1970年に竣工し1971年に開館しています。

山形ゆかりの大手組織による堅実でシックな建築群「山形県立博物館ほか」/ 建築で巡るやまがた(8)
城郭をイメージさせる石積みや巨大な白壁が、霞城の森に静かにたたずむ

霞城公園にはこの県立博物館のほか、山形市郷土館(旧済生館本館・この建築コラム第1回に登場)や山形県体育館・武道館があり、移転したもののかつては市民プールやテニスコート、市営野球場、児童文化センターなども集積した文化・スポーツの一大拠点だったのを記憶しています。

この県立博物館は、明治百年事業計画の一環として1967年に建設が決定し、翌年建設懇談会が設置され翌々年設計完了、先述の1970年に竣工式を行っています。この明治百年事業は全国各地で実施されていたもので、この時期多くの自治体で博物館が建設されていたようです。

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プロムナードを進んで北側エントランス部分に近づくと、玄関庇(ひさし)のスケール感に驚く

デザイン的には、戦後モダニズム建築の時代がほぼ終わりかけ、装飾性や折衷性が如実に表れるポスト・モダン建築が出始める前の時代のものであると推測されます。モダニズムの合理的・機能的な考えのもと、用いる素材や色は在来日本にあった自然色で統一し山形城址の自然環境との調和を図るなど、成熟した日本の戦後モダニズム建築の一端を感じさせます。

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かつて池があった南側の屋外展示スペースから現在の建物を見る (※こちらは通常、見学できません)

建物規模としては、鉄筋コンクリート造の地下1階、地上2階+塔屋1階で、4,230㎡の延床面積をもちます。屋根は壁から庇を出して水平線を強調した陸屋根となっていて、マッシブな白壁が目を引く外壁は遠目で見ると吹付タイルのような印象もありますが、よくよく近くで見ると石灰岩の砕石を粗く塗り固めたような(あまり見たことのない)仕上げになっています。

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軒庇は山形の雪にも十分耐えられそうなほど厚いデザインで、建物の重量感を増している
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外壁を近づいてみると、まるで貝塚や地層のように石灰岩が塗り固められている

配置計画としては霞城公園の周辺建物や石垣、散策路を考慮した南北の軸線が設定され、それに合わせて展示空間を大きく二つのブロックに分け、その間に生まれたスペースを展示休憩ホール空間とし、さらにはそのホールと連続させて南側軸線上に屋外展示スペースを設けています。

竣工当時の図面や写真を見ると、かつては大小2つの円形池がホールの内と外に設けられ、それらは直線の池でつながり、外では鯉も泳ぐほど水をたたえた池の水面が室内に注いでいる風景はかなり野心的にも見えます。(実際には池の湿気や外気の流入などが、博物館の一つの使命でもある収蔵物の管理にとって致命的であったため、早い段階で水は止められ内部の池はふさがれ外との出入りもできなくなったそう)

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2つの展示室ブロックをつなぐ中央の展示休憩ホールには、トップライトから光がこぼれる

内装は、1階床がくすんだ赤茶色の磁器質タイル、2階ホール床がパーケットフロア(寄木張り)、展示室床はカーペット敷きで、展示室を取り巻く内壁には外壁からの石灰岩仕上げが連続し、天井には軒天と連続するように米松(ピーラー)の板貼りが施されています。中央階段の両側には化粧杉型枠コンクリートの打ち放し壁が空間にさらなる重厚感とやや温かみのある印象を与えています。

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霞城の森とつながっていくようなかつての屋外展示スペースと池の名残 (※こちらは通常、見学できません)
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モダンな内装と家具が置かれたシーンは、半世紀経った今でも通用しそうである

この山形県立博物館を設計したのは、山形県米沢市出身の建築家・山下寿郎が東京で立ち上げた山下寿郎設計事務所。日本最初の超高層ビルとして知られる「霞ヶ関ビル」(1968年)や「NHK放送センター」(1973年)を手がけたことでも有名で、のちに(株)山下設計と改称し1983年に山下が94歳で亡くなってからも日本有数の大手組織設計事務所として発展し、全国各地に支社を有しています。

山下寿郎は、同じ米沢出身の建築家・東大教授の伊東忠太が母の従兄でかつ恩師でもあり、東大工学部建築学科を卒業後は三菱合資会社、東大工学部講師、芝浦製作所、三井合名会社を経て、40歳の時に最初の山下寿郎建築事務所を創立しています。

山下はまじめで温厚な性格だったようで、当時の建築家には珍しく自己の表現にはほとんど興味がなくクライアントや社会のために何をすべきかのみ考えていたと云われています。そうした「クライアントへの誠実」が山下設計の社是にもなり、控えめでシックな表現ながらも堅実な建物を全国に数多く生みだし90年以上の歴史ある大手組織として今も存在感を示し続けています。

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中條精一郎が建築顧問を務めた旧県庁舎の前に立つ山形県民会館も山下寿郎設計事務所の作

山下設計は、1960~70年代にかけて山下寿郎にゆかりのある東北・山形で数多くの公共施設を手がけています。生まれ故郷の「米沢市役所」(1970年)をはじめとする米沢市内も相当数ありますが、県庁所在地の山形市でも、昨年閉館した「旧山形県民会館」(1962年)や県立博物館の傍に建つ「山形県体育館・武道館」(1966年)、県立博物館と同時期の「山形銀行本店」(1971年)、「山形県庁」(1975年)に至るまで、山形の行政・金融・文化の顔ともいえる主要建物を一手に引き受けているのがわかります。

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七日町に建つ山形銀行本店は、大正時代に中條精一郎が設計したギリシャ風ドーリア式の先代建物から、
県立博物館と同じ昭和46年に山下寿郎設計事務所により建て替えを行なった
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中心部から郊外に移転した山形県庁舎も、以前の設計者・中條精一郎から山下設計による設計へ。
時代の変化を物語っているようで面白い

山形県立博物館は今年(2020年)で竣工後50年が経ち、来年は開館50周年という節目の年を迎えます。60~70年代に数多く建設された山下設計による建築物もそれぞれ築後半世紀を迎える頃合いです。戦後のモダニズム建築は、それ以前の近代建築と比べるとその装飾性の少なさや市民の共感の得にくさなどから、保存や文化財への動きが起こりづらい感がありますが、地域の建築史を語る上でも欠くことのできない存在といえるので、今後の動向を注視したいと思います。

現・山下設計では近年、米沢市に「ナセBA(市立米沢図書館)」(2016年)、東根市に「まなびあテラス」(2016年)を手がけ、ナセBAは東北建築賞作品賞を受賞するなど、山形にゆかりのある老舗の大手組織設計事務所も新しい風を地方に吹かせているようです。

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一見おとなしい外観だが、そこには真面目で堅実な山形人の気風が投影されているのかもしれない


(参考文献)
・「山下寿郎設計事務所 作品集」建築画報社編集
・新建築2019年5月別冊「未来を考える6つのキーワード 対話から生まれる建築 山下設計100年への挑戦」新建築社発行
・「LIXIL eye」no.14 LIXIL発行
・「山形銀行百年史」山形銀行発行

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