母を看取らば~ある認知症介護の記憶 Vol.4
視て、聴いて、感じること
小学生のころ、よくみた光景。夕食のしたくにはまだ早い時刻、学校から帰宅すると母があたまに枕をして、仰向けによこたわっている。耳もとに置かれたカセットプレイヤーからの音声にしたがい、深呼吸をくりかえしている。
「なにしているの?」「自律神経を整えているのよ」「ふーん」
後年になって理解したのは、母が自律神経失調症を患っていたということ。本人がよくクチにした「クラクラする」は立ちくらみや、めまいのこと。不眠をこぼすこともしばしば。
だから母にとってのかかりつけはメンタルクリニックであり、主治医は心療内科医だった。
東京から山形へUターンし、母のことでまず最初に実行したいのは、かかりつけの心療内科クリニックに出向くことだった。
「さいとうさん、おひさしぶりね」院長先生の問いかけに、「そうかしら?」とニコニコしながら母は答える。
今後は母とふたりで暮らしていくこと、受診には同行するなど伝え、認知症を疑っていることを告げる。院長先生はいくつか簡単な質問を母にする。「今日は何曜日?」「きのうの夜はなにを食べましたか?」
質問の意図は理解できているようだ。だがその答えを自分自身のなかにさがすものの、見つけられない。診療室のなかにヒントがあるかもしれないと思ったのか、あたりをきょろきょろ見渡す。
少しの間を置いて、「どうだったかしら?」「うーん、そうねぇ」とあいまいに言葉をにごす。
アリセプトという認知症治療薬の処方を受け、しばらく様子をみましょう、ということでクリニックをあとにした。
その院長先生との会話でわかったのは、かかりつけ医院にはしばらく足が遠ざかっていたということ。生活全般がそんな調子なのだろう。母がながく習慣としていたことをできるだけとりもどしてみよう、と考えた。
酒田の高校同窓会の集いが、中心街のホテルのラウンジで月に1回催されていることは以前から聞いていた。その会へ母を車に乗せて連れて行く。10人ほどの集いは、みなさん母と同世代のかたばかり。
「あらー、タカ子さんひさしぶりねぇ」「息子さんに連れてきてもらったの? いいわねぇ」とてもやさしく迎え入れてくれる。
ランチを食べながらの歓談。終了時間を見計らって、迎えに行く。食事の代金を支払い、次回の日程を確認して失礼する。
おなじようなルーティンがほかに健康体操、英語をつうじてつながった在山形のアメリカ人女性を中心にしたグループの会合など。どこもよろこんで迎えてくれる。でも相手がどんなひとで、名前さえ思い出せないのは少しみていればわかる。
いちど町内会の敬老会なる催しがあったので連れて行ったことがある。集会所の玄関をあがろうとすると、母の姿を目にとめたお手伝いのかたから「まあ、めずらしい」と含みをもたせた言い方をされる。そうか、このコミュニティとは良好な関係ではないのか…。ぼくも学ぶ。
からだ全体の健康状態を把握したくて、検診にも連れて行った。おおきな総合病院は受診科によってちがうフロアを行ったり来たりしなければならない。最初こそ母の手をひいて歩いたものの、とちゅうから院内にいくつもあるのだからと車イスに乗せて移動した。これが、はじめての車イスだった。
診察結果は、再検査を要するネガティブなところはなかった。ただ血圧はひくめ、コレステロール値と中性脂肪が平均より高めと出ていた。「やっぱり親子だったのか」ぼくはそうクチに出し、笑った。体格や生活習慣はまるでちがうのに、検診の結果は驚くほどぼくのものと似ていた。
アリセプトという治療薬の服用をしばらくつづけ、主治医からメマリーという後発薬との併用を勧められ、したがう。どちらにしても症状の進行をおくらせる効果が期待できる、だけど快方に向かうことはのぞめない。
ある日、認知症専門医への受診を主治医に相談する。「それはセカンドオピニオンということですね?」と尋ねられたのだが、質問の真意がそのときにはわからなかった。いまにして思えば、この機会に転院、認知症専門医に任せたほうがいい…主治医の先生はそう伝えたかったのかもしれない。
専門医では認知機能テストの問診と画像診断がおこなわれた。ライトテーブルに映しだされた母の頭部の画像には、先生がいうところの脳の萎縮がみてとれた。これにて、母はアルツハイマー型認知症の患者と確定した。
家族としてできることは、日常生活のなかでからだや脳を働かせること。だけどぼくがUターンしたころには、すでに多くのことを母はうしなっていた。
家庭科の教員免許取得者ではあったが、料理はもうできなかった。書道の有段者だったけど、年賀状の返信も書けなかった。茶の間に座ると、自分の手の届く範囲の目についたゴミをせっせと指でつまむ。せいぜいそのくらいだったろうか。
食事はぼくが用意した。以前の母だったら、わたしがやると台所まで足を運んだだろうが、いまや茶の間から腰をあげる気配はない。何回かフライパンのなかの炒め物を木べらでまぜる作業を、ぼくが脇に立ちながらやってもらったことがある。でも30秒もしないうちに手がとまる。こんがりと美味しそうに炒める、という行為の目的、ゴールを見失っているので、作業をつづける意味がわからなくなるのだ。
年賀状など郵便の返信も、毛筆だろうが万年筆でも道具の用途と、書くという行為の意味が失せているので、つづけられない。というよりもはじめることができない。右手の外側に受けとったハガキ、カラダの正面に真新しいハガキを置き、ペンをとる。しばらく手もとをじっとみつめるが、やがて苦しそうな声をもらし、ペンを手離して横になる。
こうして家事や手作業がうしなわれていくなかで、会話能力が最後に残されていく。母とぼくの会話を第三者が耳にしたら、なにも問題ない、キャッチボールできてますねと感じただろう。でも注意深く聞けば、母から返されるボールは「そうね(自信ありげ)」「そうかしら?(不安そう)」の2種類の“返事”しかないのに気づく。
だから訪問販売には苦慮させられた。ある日突然、新聞や牛乳が家の玄関口に届けられていた。ぼくの留守中にやってきた販売員に愛想よく対応、でも契約はまったく理解できないまま「そうね」と応答してしまう。こんにちでは各種訪問販売の成約には諸条件あるのかもしれないが、当時は口約束で契約できたのだろう。
牛乳は電話で即解約できたが、新聞は最低1か月の購読料の支払いを求められた。しかたない。新興宗教の勧誘が家にあがりこみ、母を連れ出そうとしているところにちょうど帰宅、おひきとりいただいたときは、さすがにぞっとした。
認知症専門医に受診した際、患者は会話のキャッチボールをつづけようとがんばるものだと説明された。自分はもの忘れでも認知症でもない、健康そのものでなにも問題ない! そう自尊心が抵抗し、言葉を発せさせるのだと。
専門医はそれを「取り繕い」という用語で説明した。
とりつくろい、取り繕い、トリツクロイ…。なんて嫌な言葉だ。
(つづく、次回は12月上旬公開予定)














