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山形ドキュメンタリー道場(2)/映像作家 池添俊さんインタビュー「再現でも、モノローグでもない『誰かの話』を撮りたい」

2020.01.08

和やかななかでも眼差しに熱がこもった山形ドキュメンタリー道場(以下、山形道場)のワークショップの対話の一部を(1)前編後編にて伝えましたが、各プレゼンテーションと上映作品は、実に多様なものでした。質疑で活発な意見が飛び交った発表には、作品を観る人たちを考えさせたり、心配にさせたり、励ましたくさせるような、非常に個人的で映画に対するポジティブな視点が満ち満ちていたように感じます。

なかでも、自身の継母や育ての親である祖母を取り上げ、ドキュメンタリーとフィクション、フィルムとデジタルとを織り交ぜて作品を制作する池添俊さんの上映後質疑では、講師のアヴィ・モグラビさんの「私生活という好奇心を刺激するものを観ることで、観客のどんなボタンが押されるのかを議論したい」といったコメントをはじめ、実に多様な視点が提示されていました。

山形ドキュメンタリー道場(2)/映像作家 池添俊さんインタビュー「再現でも、モノローグでもない『誰かの話』を撮りたい」
池添俊さん(ドキュメンタリー・ドリームセンター提供)

ワークショップでは、「英語があまり話せないので」と言いつつも、常に参加者と談笑していた池添さん。空き時間には8ミリカメラで密かに撮影していたそうで、その映像を観せてもらうと、池添さんの眼差しを照り返すような屈託のない笑顔がたくさん並んでいました。そんなふうに参加者や講師を映画愛いっぱいに刺激した池添さんに、ここでは今回の山形道場の感想や、作品づくりで大切にされていることなどを聞いてみたいと思います。

山形ドキュメンタリー道場(2)/映像作家 池添俊さんインタビュー「再現でも、モノローグでもない『誰かの話』を撮りたい」

山形ドキュメンタリー道場(2)/映像作家 池添俊さんインタビュー「再現でも、モノローグでもない『誰かの話』を撮りたい」
池添さんが8ミリカメラで撮影した山形道場の映像より

――池添さんの作品上映後のディスカッションでは、みなさんが自由に活発に語っているようすが印象的でした。みなさんの意見を受けてお考えになったことなどはありましたか

講師のアヴィ・モグラビさんには長年培ってこられたご自分なりの「人生劇場」という見せ方がありますし、同じく講師で撮影監督の山崎裕さんは、画を撮るのではなく時間を撮ることに重きを置かれている。スタイルという点ではそれぞれだと思うのですが、私自身は観る人にその人独自の記憶や感情を想起させる映像がつくりたいということと、パーソナルなテーマとの距離をいかにとって描くかということを、前作から考えていたんです。

前作『愛讃讃』では幼い頃に別れた継母を描き、新作『朝の夢』では育ての親である祖母の声を起点にフィクションを交えて制作しています。祖母が死に向かっていることを意識した時、「今、彼女の話を聞かないと後悔する」と思い、一年間祖母のもとに通って対話しました。そこで拾った声がもとになった『朝の夢』では、祖母に対する私自身の感情や思いといった作り手の存在を、作品からできるだけ遠ざけるようにしました。そうしなければ、祖母への溢れる想いから、「一人の女性」の物語に昇華できないと考えたからです。けれど、今回の山形道場のプレゼン後には、「作品内にあなたの存在を感じない。祖母と孫のあなたとのかかわりを立ち上げてほしい」といった意見が寄せられ、あらためてドキュメンタリーの視点から、作品を見つめ直すよい機会を得たように思います。

『朝の夢』では、映像と声が記憶を想起するスイッチのように、ふとした瞬間にリンクすることを心がけました。観る人が考える時間をつくりたかったんですね。それが映画だからできることなんじゃないかなと。観る人それぞれのタイミングで、記憶と結びつく瞬間があればいいなと思います。

山形ドキュメンタリー道場(2)/映像作家 池添俊さんインタビュー「再現でも、モノローグでもない『誰かの話』を撮りたい」
『朝の夢』より

――池添さんの作品からは、とてもポジティブな印象を受けますし、実際にはお祖母さんの声と、それとは何の関係もない女優の村上由規乃さんの声とが不思議な重なりを見せて、誰かの生きてきた時間を想像させるような、そんな不思議な感覚がありました

私は濱口竜介さんの監督作品が好きで刺激を受けているんですが、劇映画の『ハッピーアワー』や酒井耕さんとの共同監督作品でドキュメンタリーの『うたうひと』などのように、声自体に味付けせずとも、対象者がもともと持っているものも存在させながら一つの物語を演出していく方法論や仕組みは、きっとまだまだあるんじゃないかと思っています。

『朝の夢』では、村上由規乃さんに祖母を再現してもらうのではなく、祖母の話した内容が彼女の手を離れて別の女性の話になる瞬間を意識しました。ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、あらゆる女性に通じる話をつくりたかったんです。また、前作『愛讃讃』では、自分のイメージしたカットを忠実に再現していたのですが、『朝の夢』では基本的にワンシーン・ワンカット、それぞれ8ミリフィルムのワンカートリッジ分(3分20秒)で撮影しています。山形道場では休憩時間などにも山崎さんと話していたんですが、「ドキュメンタリーは対象者を追いかけることなんだよ」とおっしゃっていて。自分もまさに俳優たちを迎え撃ちして何度も撮るのではなく、現れては消える気配のようなものを捉えたくて、『朝の夢』では特にワンカットの追いかけるイメージで撮影していたなとあらためて思いました。

あとは、この年になって、愛を感じる瞬間というものをやっと素直に作品に出せるようになってきたというような感じはあるかもしれません。自分の感じた素直な思いをストーリーの裏側に全部隠してしまうよりも、それを作品のところどころに漂わせることはできないだろうかと。そういった要素のなかに自分の存在が入ることで、観る人の感情の動きが変わるのかもしれないなと思ったりもします。

山形ドキュメンタリー道場(2)/映像作家 池添俊さんインタビュー「再現でも、モノローグでもない『誰かの話』を撮りたい」
発表する池添さん(写真提供:ドキュメンタリー・ドリームセンター)

――今回の上映とディスカッションを通じて池添さんのなかで変わられたことはありましたか

これまでのスタイルを変えるかどうかはまだわかりませんが、今回参加して思ったのは、スタイルに溺れすぎてはいけないなということですね。表現の仕方に固執すると、伝わることこそ大事なのに、むしろ伝わらないものになってしまう。自分の場合は作品をつくろうとするとき、ラストカットなどの画のイメージが先にぱっと思い浮かぶことが多いんですが、そういったイメージに固執すると引っ張られすぎるところもあるんだなと思いました。一方で、スクリーンを通じて観ている方にどう伝わるかは大事ですが、万人に伝わることを意識しすぎると結局何も心が動かない作品になってしまうので、自分のスタイルと伝え方については、バランスをとりながらも臆せず尖らせていきたいですね。

ただ、山形道場では、本質的なことに対しては、みなさんが率直に質問を投げてくれるなと感じました。十人十色の意見が出て、そのそれぞれと対峙するからこそ「道場」なんだなと。礼に始まり礼に終わるという道場のあり方についての話が最初に企画者の藤岡朝子さんからありましたが、そういった心のもち方や、作品で何を伝えるのかにおいて自分のなかで揺らぎのあった部分を、作品を観てきっちりとみなさんが指摘してくださることに心を動かされました。

自分は『朝の夢』で初めて身内の人間を対象者として撮りたいと考えたのですが、まず祖母にカメラを向けたとき、すごく攻撃的だなと感じたんです。カメラを向けるということをどこまで通していいものなのかは常々考えなければいけないし、ただ及び腰でもいけないし。山崎さんが発表の際に、アメリカの写真家のユージン・スミスの言葉を挙げながら「カメラで撮ることは暴力的。どんな間柄でも撮るために関係性を築くには目を見ることが大事。撮影する時には片方の目でレンズをのぞいて、もう片方の目で対象者の目を見るんだ」と話していたのは、私の中ではなるほどそういうことかという気がしました。

山形ドキュメンタリー道場(2)/映像作家 池添俊さんインタビュー「再現でも、モノローグでもない『誰かの話』を撮りたい」
山崎さん(左から2番目)たちと語り明かす池添さん(左から3番目)。右から4番目が藤岡さん(写真提供:ドキュメンタリー・ドリームセンター)

――2018年の初回の山形道場に参加した映像作家の小田香さんからは、今回山形道場に参加するにあたってアドバイスを受けていたのですね

そうなんです。山形国際ドキュメンタリー映画祭2019の夜のイベントでキックオフ交流会「道場ナイト」が開催されていたのでそこに参加したのですが、その際に小田さんから「様々な国の様々な立場の作家がいるので、私が気をつけたことはすぐに自分のなかで答えを出さないこと。リスペクトをもってまずは受け止める。まずは飲み込んで考えてみるということ」とお聞きして。また、発表のときにも、一方的にプレゼンするより、他の人たちと対話しながら進める発表のほうが聞きやすかったとおっしゃっていたので、その二つは気を付けたことでした。

山形ドキュメンタリー道場(2)/映像作家 池添俊さんインタビュー「再現でも、モノローグでもない『誰かの話』を撮りたい」
3日目の発表終了後、モグラビ監督(右から2番目)が提案したポーズにて

――今後の制作や上映についても教えてください

ちょうど12月6日に、横浜の海上をたゆたう独特な空間「海に浮かぶ映画館」にて『朝の夢』が上映されました。昨年にそこで鈴木卓爾さんの『ゾンからのメッセージ』と七里圭さんの『あなたはわたしじゃない』などの作品を観たのですが、普段生活している街から離れて映画の世界に浸り、そして再び街に帰るという体験が素晴らしくて。浄土がテーマの『朝の夢』と常世と現世の端境のような海に浮かぶ映画館とはとても相性がよく、特別な上映機会になったように思います。

上映後に、作品を観てくれた映画監督の草野なつかさんが、「お祖母さんの話が女優の村上由規乃さんの身体を通して語られるというのは、なにか伝承に近いようにも感じた」と声をかけてくれました。伝承や民話にはもともと興味があったので、その言葉にははっとしたというか。具体的な人物の再現でもなく、本人のモノローグでもなく、その狭間にある「誰かの話」というのをこれからも撮っていきたいなと、草野さんのコメントを受けて再確認しました。祖母や母親が、今後の作品にどれくらい出てくるかはわかりませんが、自分のテーマと並行して、パーソナルなものも撮り続けていきたいです。そのなかで、時の中に埋もれてきた民話のような小さな声を、一つずつ掬い上げていきたいなと思います。

(3)へ続く

池添俊さんプロフィール
1988年生まれ。フリーランスでデジタル映像を作る傍ら、個人で8mmフィルム映画を作成。メディアを横断する新たな映画表現を模索している。中国人の継母との生活を描いた初監督作『愛讃讃』(2018)が第12回グラスゴーショートフィルムフェスティバルでスペシャルメンションを授与、イメージフォーラムフェスティバル2018にて優秀賞受賞。同作は、第43回香港国際映画祭(2019)、第40回ぴあフィルムフェスティバル(2018)など国内外の映画祭で上映されている。『朝の夢』(2020)2作目の短編。ホームページ:https://www.shunikezoe.com/

『朝の夢』
202018min8mm/パートカラー
目覚めた時にはあの人はもういないかもしれない-
私にとって「母」とは、私を育ててくれた「祖母」だった。無償の愛を与えてくれた母が初めて語った、最愛の人との出会いと別れ。
キャスト|出演:村上由規乃、上野伸弥/モノローグ:池添貞子、村上由規乃
スタッフ|監督・編集:池添俊/撮影:米倉伸、池添俊/整音:川上拓也/音楽:duenn