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偶然に出会った4ビート

2020.03.14

偶然に出会った4ビート

とくに理由はないのだけど、今日はいつもと違う道を歩いてみたくなった。自宅から事務所に向かう途中、大通りから一本内側にある名もない小道を選んで、静かにならぶ住宅たちを横目に歩いていると、視界にひょんとジャズ喫茶の看板が飛び込んできた。

看板はあくまでさりげなく、店構えも控えめで、一見閉店しているような風貌だった。ところがドアには営業中の文字と、窓からは壁一面に並ぶレコードが見えた。思わず足を止めると、窓際に座る店主らしき人と目が合った。はっと我にかえって、歩き出す。今日は締め切りを2つも抱えているから、喫茶店に寄るなんていうプランはない、はずなのに足はジャズ喫茶に戻っていた。なにかを感じてしまったのだからしょうがない。

平日の10時、店内は無音で客は誰もいなかった。店主のおじいさんが「いらっしゃい」とつぶやき、うながされるようにしてカウンターに座わった。コーヒーを注文すると、おじいさんは黙々とロートやフラスコを取り出しサイフォン式で淹れてくれた。

この町に来てもう4年の月日が経とうとしている。ここは職場と自宅の中間地点であり数えきれないほど往復しているはずなのに、こんな思いがけない出会いがあるなんて。私がこの町で知っていることは、ほんのわずかなことしかないのだろうと、カウンターにあるレトロな陶器の砂糖入れと年季の入ったメニュー表を眺めながら考えていた。

「どんな気分なの?」コーヒーを差し出しながらおじいさんは私に問いかけた。今にも雨が降りそうな曇天だった。「少し明るい気分になりたいです」

おじいさんは壁一面にならぶレコードを指でなぞって滑らかに一枚を取り出した。

MILT JACKSON 『Ain’t But a Few of Us Left』

レコード針を落としてしばらくすると、静かな店内に一瞬にしてリズムが満ち溢れた。カウンター正面に壁つけされたスピーカーは圧倒的な大きさで、ピアノとドラムのリズムがだくだくと溢れ出す。音を浴びるという行為にしばらく身を委ねてみる。

何枚くらいレコードを持っているのか聞いてみると、数えていないどころか、知りたくもないとおじいさんは言った。もっと別のお金の使い道があったかもしれないと、笑っていた。

コーヒーはさわやかな香りで軽やかな口当たり。だけどおじいさんの方言はとても強い。レコードを取り替える合間におじいさんからいろんな話を聞いた。

世界を横断したクラシックやジャズの歴史のこと。海外製の真空管アンプの仕組みのこと。食材が豊富な現代よりも、戦後の支那そばのほうがおいしかったこと。戦後この町にはアメリカ兵がいて、当時子どもだったおじいさんはチョコレートをもらったのが嬉しかったこと。中心街のデパートでアメリカ兵による即興音楽を聞き、そこからすっかり音楽に魅せられてしまったこと。

そんな幼少期の音楽との出会いに「運命的ですね」と言ったら「運命なんてものはない。ただ流れに沿って生きているだけ」とレコードを探りながら、背中越しにおじいさんは言った。

何曲の時間を経ただろうか。そろそろ仕事に向かわなくてはいけない。会計を済ませると外はいよいよ雨が降っていた。加えて最近ではコロナウイルスが世界を震撼させ、社会には停滞したムードが流れていた。「大変な世の中ですよね」ジャケットを羽織りながらついため息をこぼしてしまった。

「ジャズは4ビート。どんなことがあっても、心と頭だけは4ビートでいればいいの。だからこの店をやっている」おじいさんは、カウンター越しにやわらかい眼差しで見送ってくれた。