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Uターン次女の就農日記(1)

連載

2023.09.22

2023年4月。山形にUターンした。

山形に戻るのは、高校卒業以来。Uターンするまでは、新卒から6年間、公務員として働いてきた。29歳のアラサーにして、脱・公務員からの就農。退職前、周囲からかけられた声の中で多かったのは「頑張ってね」という応援と、「辞めるなんてもったいない!早まるな!」という声。後者は、主に身内や親戚から(笑)。どちらの声もありがたく頂戴して、約10年ぶりに山形に戻ってきた。

Uターン次女の就農日記(1)

大学進学を機に山形を出てからは、仙台と東京での暮らしを経験してきた。
都会での暮らしも充分楽しかった。日本各地の出身者と出逢って、いろんな刺激を受けたし、仕事上でもなかなかできない貴重な経験をさせてもらった。海外旅行も好きで、1人でふらっと旅立つことも多かった。とにかく毎日を充実させるために常に新しい刺激を探していた。

そんな中、コロナ禍に突入した。仕事の転勤で、ちょうど東京へ引っ越した時だった。

2020年4月。東京を含む7都府県に緊急事態宣言が出された。乗り込んだ東京メトロの丸の内線はガラガラだった。満員電車を想定していただけに、これは異常事態だと認識した。もちろん実家のある山形へも帰省できない状況になった。頼れる人がいない都会で、コロナに感染したらどうしようという不安と緊張でいっぱいいっぱいの毎日だった。

そんな中でも、仕事は終電間近で帰る日が続いた。今までとは違う仕事量と職場環境に慣れるのに必死だった。丸の内線の車内で、「そんなに大変なら仕事辞めてもいいんだよ」と遠く山形に住む母からLINEが来て、耐えきれずマスクの下で号泣した日もあった。とにかく怒涛の日々だった。

コロナを境に、今後の人生についてすごく考えた。親しい家族に自由に会いに行けず、都会の見知らぬ人混みの中で、自分を守るので精一杯の日々。いったい私の居場所はどこなのか。答えの出ぬまま、東京で2年間の勤務を終え、仙台に転勤となった。

仙台に戻った時にはコロナも少し落ち着いて、山形にも久々に帰ることができた。2年くらい帰れない間に、母方の祖父の体調はみるみる弱っていった。会いに帰れなかった状況を悔やんだ。
6月のさくらんぼの時期には、週末になると実家の農作業を手伝いに帰った。家族や手伝いに来てくれる親戚に囲まれながら、懐かしい山形の空気に触れた。

Uターン次女の就農日記(1)
高校時代、毎日、奥羽本線に揺られながら、車窓の遠くにある山並みを見ては、「こんな何もない田舎、早く出てってやる」と固く心に決めていた。田舎の女子高生なら、誰しも考えるはず。

でも、いざ戻ってきた山形は、いろんなものに溢れていた。都会では感じることのできなかった豊かな自然。すぐに何かお裾分けしてしまう人の温かさ。いつでも帰ってこい、と静かに受け止めてくれる心の広さ。自分の居場所を見失っていた私にとって、すごく心の休まる瞬間だった。

こうして、山形にUターンすることを心に決めた。

2023年8、9月。父と一緒に、桃の作業に追われた。63歳の父と、29歳の娘(次女)。猛暑の中、汗だくになりながら頑張った。ラジオからは、毎日のように猛暑を告げる天気予報が続いた。就農1年目の私にとっては、過酷な夏だった。
それでも、桃たちは樹上で静かに甘い実をつけてくれた。自然のありがたみを感じた。

Uターン次女の就農日記(1)

つづく