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坂本大三郎の「山の書評」(2)

地域の連載

2020.07.03

 「山に登る」という言葉を考えたとき、現在の人たちが思い浮かべるのは、登山口から山に入り、登山道を歩き、山頂へ至り、下山する、という行程ではないでしょうか。こうした登山の文化は、明治期に日本を訪れた外国人がもたらした近代登山の大きな影響を受けているものと考えられます。

 1874年にウイリアム・ゴーランド、アーネスト・サトウ、ロバート・ウイリアム・アトキンソンが六甲山に登り、これが日本における近代登山の発祥とされています。ちなみにアーネスト・サトウは佐藤さんという日本の姓ではなく、スラヴ系のイギリス人の姓とのことです。サトウの子供は武田さん(母方の姓)で、次男の武田久吉は植物学者であり、日本山岳会、日本山岳協会、日本自然保護協会の会長を務めた人でした。

 三人のうちのひとり、ウイリアム・ゴーランドは飛騨山脈を日本のアルプスと命名し、それが明治期に来日したイギリス人宣教師ウォルター・ウェストンの著作によって紹介され、ウェストンと交友があり日本山岳会初代会長となる小島烏水の活動によって日本アルプスは飛騨山脈を北アルプス、木曽山脈を中央アルプス、赤石山脈を南アルプスとして広く知られる様になりました。

 本家スイスのアルプスは近代登山にとって重要な場所で、詩人アルブレヒト・フォン・ハラーの長編詩『アルプス』やジャン・ジャック・ルソーのベストセラー小説『新エロイーズ』によって、それまで悪魔や怪物が跋扈する世界と考えられた高山のイメージが塗り替えられ、アルプスは美しい自然風景のある善良な人々が暮らす土地として注目されるようになりました。

そして1857年のアルフレッド・ウイルスによるヴェッターホルン登頂をきっかけとして、アルプスの4000メートル級の山々の初登頂を狙う「アルプス黄金時代」が始まります。主だった山が登頂された後には、より難易度の高いルートを登る「アルプス銀の時代」があり、やがてその関心がヒマラヤに移るまで、ヨーロッパの多くの登山家たちがアルプスを目指したのでした。

 こうした近代登山やアルピニズムに影響されつつ、日本では1965年に深田久弥の『日本百名山』が出版され、そのなかに日本アルプスの山々が三割ほど選ばれています。深田は名山の条件を品格、歴史、個性、標高1500メートル以上として、かつ自らが登頂したことのある山のなかから百の山を選定しました。現在でも『~百名山』というタイトルの登山番組や書籍をたびたび目にします。山で百名山巡りをしている登山客に会うこともあります。『日本百名山』の影響力の大きさが伺えます。

 こうした明治以降の近代登山の他にも、日本の山岳には信仰としての山の側面や、山間部で暮らす人たちの生活の場としての側面もあります。大内征さんの『低山トラベル』は、そうした近代登山で見過ごされてきた山の側面に光を当て、いままで登山業界では誰も押さなかった「低山」というツボを押し、紹介する本といえます。日本人と山との関わりでは、標高の高い威風堂々とした品格のある山よりも、里の近くにあるこんもりとした山の方が圧倒的に長い時間の蓄積があり、神話や民話や伝説といった物語も、そういった身近な自然の中で生まれたものが多くありました。

坂本大三郎の「山の書評」(2)

 例えば、東北にはモリヤマという名前の山が目につきますが、モリヤマは里から近い、こんもりとした山であることが多く、人が亡くなると、まず集落近くのモリヤマに宿り、長い年月をかけて浄化され、遠くのミヤマに登っていくという信仰があります。モリヤマのことを端の山ということでハヤマ、その文化をハヤマ信仰と呼ぶこともあります。『とっておき!低山トラベル』の中では、群馬県の嵩山がハヤマ信仰の山として登場し、また嵩山が戦国時代に武田、上杉、北条といった大名が争いを繰り広げた戦略的な場所であったという側面も紹介されています。大内さんの本はわかりやすく、親しみが持てる内容となっていると僕は思います。こうした山の文化については、これまでも多くの研究者によって紹介されてはきましたが、内容が難しくなりがちで、それが身近な山の文化との距離を作ってしまっていた理由の一つでもあると思います。

坂本大三郎の「山の書評」(2)
山形の森山でお盆の時期に祖霊を迎える。この時期以外に山に入り女性に出会うと死ぬと伝えられている。

大内さんはNHKラジオ深夜便『旅の達人~低い山を目指せ!』に長く出演しています。以前お会いしたときに「ラジオを聞いて感想のお手紙を送ってくれるような人生の大先輩と、山の魅力を分かち合いたいんだよね。そのためには、わかりやすく紹介することが大切かな」と言っていたことが印象に残っています。

 民俗学者の宮本常一の有名な言葉に「自然は寂しい。しかし人の手が加わるとあたたかくなる。そのあたたかいものを求めて歩いてみよう」というものがあります。僕は山を歩くとき、山頂を目指すより、古くから人が活動していた山の中腹や麓の森の中をウロウロすることが好きです。そんなとき宮本常一のこの言葉が頭に浮かんできます。高山の魅力も、もちろん素晴らしいものですが、アルプスやヒマラヤが近代登山の方法によって踏破された後に残された冒険の地は、集落に近い山に残された物語の中にあるのではないかと、僕には思われるのでした。

 

坂本大三郎

坂本大三郎の「山の書評」(2)

千葉県出身、山形県西川町在住。古来より伝承されてきた生活の知恵や芸能の研究をライフワークとする山伏にして、イラスト・執筆・芸術表現など幅広く活動するアーティスト。主な著書に『山伏と僕』(リトルモア)、『山伏ノート』(技術評論社)、『山の神々』(A&F)がある。山形市七日町とんがりビル1Fにある雑貨とカフェの店「この山道を行きし人あり」のディレクションも担当。
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