地元・山形との関係を深め、発信していく/清水幸佑さん
店情報
首都圏や全国に散らばる、#山形との関係 を紹介するインタビューシリーズ。今回のゲストは山形出身者であり、東京・高円寺を中心に山形料理店などを展開する、株式会社どりーむずかむとぅるー代表の清水幸佑さんです。
高円寺の山形料理と地酒「まら」、天ぷらや蕎麦、地酒に定評のある「椿」、中野の山形料理と地酒とわいん「こあら」など、個性豊かな飲食店をはじめバーやスナック、ギャラリーなど11店舗を運営する、株式会社どりーむずかむとぅるー(通称:どりかむ)。
その旗艦店である高円寺の「まら」では、山形の農家から直接届く新鮮な野菜、海の幸や山の恵みを使った季節の名物が提供され、それらはまら流のアレンジが加わり、親しみやすくも洗練された山形料理が味わえる。
瞬間的な帰省のようにこの店を訪れる人もいるかもしれない。山形に縁がない人でも、ひとたび箸をつければ、山形との距離が少し近づいたように感じるだろう。お客さんの頭上には快活で威勢のいいスタッフの声が行き交い、山形料理や地酒とその雰囲気があいまった温度感が心地いい。
この会社には“カルチャー”というもうひとつの顔がある。2009年に高円寺南で居酒屋「音飯」を開店したところからスタートし、音楽やアート、ファッション好きが集まる店として長く愛されながら、2017年に「まら」へと転身。いまでもカルチャー好きのファンが多く、ミュージシャンや役者、芸人など多くのクリエーターとの親交が深い。
清水さんはアイディアマンだ。SNSやメディア展開、地元・山形との連携や企画、新規事業の開拓など、話をしていると、次から次へと構想がわき出てくる。
ひょうひょうとしながらも、流れるように思考し多動な清水さんのエネルギーに巻き込まれるようにして、このコミュニティは育まれていったのだろうと、どりかむの歩みに思いをはせた。
居心地のいいお店は理屈じゃない。つくり手の純粋な好奇心や“好き”というパッション。それにお客さんが共鳴している状態なのかもしれない。どのようにして店がつくられていったのか、清水さんにとって山形とはどんな場所なのか、今後どんな展開を考えているのか。どりかむという小宇宙を少し覗いてみたいと、店のドアをノックした。
──最初に高円寺でお店をオープンさせてから11年。今日は清水さんがどのように上京して山形料理店を始めようと思ったのか、そのきっかけからうかがいたいと思います。
生まれは寒河江市です。子どもの頃は学校帰りに川で泳いで鮎をついたりして、自然の中で遊んでいましたね。高校を卒業して、専門学校に進学するタイミングで上京しました。
実家が土建や不動産などの会社をしていて、その関係で測量の専門学校に進学し、その後は建築関係の専門学校に行きました。とはいえ家業は継ぎたくなくて、就職もしたくなくて逃げていたんですよね。
──そこからどのように飲食の道へ?
実家が比較的余裕があったのでずいぶんと甘えてしまっていて、働くことにも現実味がなかったのですが、26才の頃に父親が他界し、実家の会社がなくなり、親に頼ることができなくなって、初めて現実を突きつけられました。
そこで自分にはなにができるだろうと考えて浮かんだのが、飲食業でした。
高校生の頃から地元のお寿司屋さんでバイトをしていて、専門学校時代もフリーターのときもずっと飲食店でバイトをして、10年以上飲食業界で働き続けていたんです。
とりあえず29才まではがむしゃらに働き、1店舗目の頭金を貯めました。焼鳥屋や居酒屋、料亭など、和食を中心にやってきたので、和食店をやろうと。
専務の高橋(勇)さんとは21才の頃にバイト先で出会い、そこからずっと遊び仲間で、DJを呼んで野外パーティーを企画したり、音楽イベントに飲食として出店したり一緒に活動していました。本格的に自分の店をやりたいと思って高橋さんに相談し、30才の直前にふたりで高円寺に居酒屋「音飯」をオープンさせました。
──高円寺というまちに思い入れがあったのですか?
実はあまりなかったんですよ。高円寺は18才の頃からずっと遊んできたし好きなまちだけど、働く場所としてはまったく考えていなくて。渋谷の駅前とかいろんな土地をみていたけど、金額との折り合いがつかず、最終的に出てきたのが高円寺の物件でした。高円寺は住人やまちの特徴も頭に入っていたし、他のまちよりは知っていていいかと思ったんです。
もともとミュージシャンやアーティストが周りに多かったので、店をつくってからもお店でライブしたり、展示したりということを自然にやっていました。
──当初はカルチャー色が強かったんですね。山形にいたころからカルチャーが好きだったのですか?
そうですね。僕は田舎に住んでいたこともあり情報に貪欲で、映画も音楽もファッションもアートも、僕らの世代ではネットがないから、ひたすら雑誌を見ては必死に情報を探していました。
たとえば音楽でいうと、東京には遊ぶ場所がいっぱいあって、ジャンルによってそれぞれコミュニティも遊び場も違うわけです。
でも地方にはそれがないから、ひとつのクラブで毎日のように音楽のジャンルが変わって、多ジャンルが一緒に消化されていく。このミックスカルチャー感は地方ならではかもしれませんね。カルチャー感が変に育っていく感じ。
──どりかむには11店舗ありますが、チェーン展開ではなく、山形料理屋、蕎麦屋、カレー屋、ギャラリーなど、店名も業態もバラバラですし、各店舗それぞれが個性的で不思議な集合体だなと感じます。そのミックスカルチャー感にも関係するのでしょうか。
それはあるかもしれない。やっぱり変ですよね(笑)。
ビジネス的にはチェーン展開したほうがよっぽど効率的なんだけど、30代では利益を考えず、ただただ好きな人と好きなことをやってきました。飲食店だけでなく、書籍の企画や制作、音楽やアパレルの販売もやりました。店も書籍もすべて自分が「こんなものがあったらいいな」と思うものばかり。なれないものはあるけど、好きならばやってやれないことはない。これが僕のモットーで、それを繰り返してきた10年でした。
いまは40代になり、これまでの事業を整理するフェーズだと思っていて、高橋さんからも背中を押され、会社全体を俯瞰して見られる立ち位置に移っています。現場が好きなので寂しい気持ちもあるのですが。整理しながらも攻めていくことが大切で、常に新しいことにチャレンジしたいと思っています。
──まらの山形料理は、親しみやすくも洗練されている印象があります。そもそも山形料理屋にしたのはなぜですか?
1店舗目の「音飯」の初期はカルチャーを切り口にした居酒屋だったけど、次第に食事に力を入れようと自分のルーツである山形料理を出すようになり、その後、山形の米沢出身の料理人・我妻(直也)さんと出会ってさらに料理に磨きがかかっていきました。「音飯」から「まら」に転身したのも、もっと山形料理店であることを正面から見てほしいという思いがあったからです。
芋煮も玉こんもだしも家庭料理だからこそ、あえて丁寧に、プロの我妻さんのきめ細かなレシピでつくっています。しょうゆや味噌も山形のものを使っていて、調味料から食材までこんなに地元のものを選んで使っているのは、世界中でうちが一番ではないかなと思うくらい。山形の地元の酒販から直接取引きさせていただき、東京では流通しないお酒も置いています。
最近では、有機野菜をつくる大江町のはしもと農園さんや、寒河江市のお日さま農園さんなどと取引きさせていただいています。こちらからトマトを何個、ナスを何個と注文するのではなく、農家さんがおすすめする野菜を送っていただき、それを元にメニューを考えるスタイル。そうすることで農家さんの負担が少なくなるし、うちもスタッフが考える幅が広がっていきます。
──最近はよく山形の地元の人や生産者さんとコミュニケーションをとられているとのことですね。
なぜお店をやっているのかというと、やっぱり「人」が好きだから。おもしろいお客さんや個性的なスタッフ、仲間たちがいるからここまでやってこられました。
元々はそんなに山形愛が強い方ではなかったと思います。ただ、自分の足下を見たとき、ルーツである山形にもおもしろい人がいっぱいいて、魅力的な生産者の方々がいて、これまで以上にもっと山形と強く繋がりたいと思うようになったんですよね。
以前、山形に行ったとき、寒河江市、大江町、朝日町、河北町、尾花沢など伝承野菜をつくったり有機農法をしている農家さんのもとを回ってきました。
ゆっくり山形に滞在して、農家さんの畑で野菜をちぎって食べさせてもらったり、ものづくりをする地元企業を訪ねたり。そうすると次から次へとおもしろい人を紹介してくれて、つながっていく。
ただの帰省じゃなくて、ちゃんと目的を持って行っているせいか、どんどん自分の中に山形の魅力が入ってくるんですよね。じわじわと染み込んでくる感じ。
うちのお客さんは山形に縁のある人が多いし、それ以外の人にももっと山形のことを知ってもらいたいという思いが芽生えるようになりました。
最近では、店先や杉並区立の複合施設「座・高円寺」の前で「どりーむマルシェ」を始めていて、うちの店で使わせていただいているしょうゆや味噌、山形の食材や加工品の販売も始めました。これもひとつの山形を知ってもらうきっかけになれたらいいなと思います。
──これからやりたいことは?
もっと山形との繋がりを強くしていきたいと思っていて、山形市内にある築60年くらいの古民家を借りて拠点をつくろうと計画中です。
去年うちのスタッフみんなを連れて山形に行き、山菜狩りや酒蔵巡りをしたのですが、みんな豊かな自然環境に魅せられすごく興奮していました。古民家の敷地内では畑もできそうなので、母親にも協力してもらって野菜をつくり、期間限定のショップとして料理を振る舞えるようにしたり、展示をできる場所にもしたいので、学生に使ってもらうのもいいなと思います。
いずれは山形と東京の交流ができる場所にしたいので、山形の飲食店で働く若手の料理家と、うちのスタッフとを山形と東京間で交換留学したりとか、東京のお客さんを呼んで山菜採りやフルーツ狩りなど山形を巡るツアーをして滞在してもらったり、将来的にはそんなこともできたらいいなぁと思います。
──情報と人の動きが生まれそうですね。
最近ではYouTubeチャンネルも始めました。東京からだけではなく、山形の拠点からも情報発信をして、山形の魅力や山形で活動する人を知ってもらいたいと思っています。拠点を持つことで、やれることの幅がかなり広くなるはず。どんどん新しいことに挑戦していきたいですね。
写真:森田純典
取材・文:中島彩